弘法大師空海は高野七口(こうやななくち)といわれる,たくさんある登り口の中から九度山(くどさん)から高野山の大門に続く道を表参道と定め、木製の卒塔婆(そとば)を立てて道しるべにしていました。その「道しるべ」が、木製のため、朽(く)ちてしまった…
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