なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

JBF手賀沼会場のコブハクチョウ

2日目も、晴天に恵まれて、ジャパン・バード・フェステバル(JBF)は、盛大なうちに終幕しました。

11月3日に、会場付近の手賀沼で撮影した、コブハクチョウの写真を掲載します。コブハクチョウは、本来は、西欧に生息する鳥ですが、動物園などで飼育していたものが、野生化した鳥のようです。手賀沼では、毎年、繁殖しています。今回撮影したコブハクチョウも、今年の5月頃、ここで生まれた子供が成鳥したものと思われます。(最初から2枚は、11月3日に撮った写真で、その後の3枚の写真は、今年の5月24日に撮った子供の頃の写真です。飛んでる写真は、以前に手賀沼で撮った、飛翔写真です。)このコブハクチョウ達は、毎日、訪れる人たちに可愛(かわい)がられて、県立手賀沼公園のアイドルとなっています。


閑話休題 シューベルト遺作歌曲集「白鳥の歌」より「セレナーデ」

シューベルトの「白鳥の歌」は、彼の死の直前の1828年に作曲された14曲を集めた歌集です。白鳥は、「死の直前だけ美しい声で鳴く」という、言い伝えから、絶筆(ぜっぴつ)の意味をもっています。その「白鳥の歌」の4番目の曲が、レルシュタープの詩による、有名な「シューベルトのセレナーデ」です。この詩の出だしは、Leise flehen meine Lieder で始まります。

戦前(1933年製作)に製作されたドイツ≒オーストリア映画で、邦題(ほうだい)が「未完成交響楽(みかんせいこうきょうがく)」という映画がありました。随分前に、NHKの教育テレビで、放送されたので、私も観ることが出来ました。この映画の内容は、フィクションですが、とても筋書きが魅力的なので、私は、DVD化された映画を買い求めて、観ています。この映画の原題(げんだい)は『シューベルトのセレナーデ』の最初の歌詞から採(と)られていて「Leise flehen meine Lieder 」です。その訳は、「秘めやかに流れる我が調べ」などと、訳されています。私は、この映画では、未完成交響曲の由来を、「シューベルトのセレナーデの冒頭の言葉で表現しているのだろう」と推測しています。

この映画の あらすじは、貧しい作曲家・シューベルト(ハンス・ヤーライ)は、サロンでピアノ演奏を行ったのをきっかけに、エステルハージ伯爵の娘、カトリーネ(マルタ・エゲルト)の家庭教師になります。その歌唱指導で、シューベルトが、セレナーデの最初の一節 Leise flehen meine Liederをゆっくり、「ライゼ フレーエン マイネ リーダー」と歌い、カトリーヌが続けて歌うシーンがあります。本来「セレナーデ」は、男性が女性に対して歌う、恋の歌ですが、この映画では、逆に、女性が男性に恋心を歌って、効果をあげています。マルタ・エゲルトの歌唱は、とても悩ましく、魅力的です。やがて2人は恋に落ちるのですが、親の妨害によって、娘は軍人と結婚することになります。結婚式に招待された、シューベルトピアノ曲を演奏し、未完成の曲の譜面に「我が恋の終わらざるが如く,この曲も終わらざるべし。」 Wie meine Liebe nie zu Ende gehen wird, so soll auch diese Musik nie zu Ende gehen. 」と書き記(しる)します。

白鳥の歌」も多くのCDがあるのですが、私が、「シューベルトのセレナーデ」を聴く時は、面倒ですが、この古い映画のDVDのマルタ・エゲルトの映像つき歌唱を聴くようにしています。なを、マルタ・エゲルトは、90歳を超えているそうですが、アメリカで存命しているようです。