なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

新春に飛ぶチュウヒ

利根川の河川敷の枯れ木にチュウヒがとまっていました。このチュウヒは、朝早くからエサを探して飛び回ったので、疲れて休んでいたんでしょうね。しばらくは、動かないようです。

と思っていたら、休んでいたチュウヒが、突然、飛び出しました。狩りの再開です。あちこち飛び回って低空飛行して獲物を探していますが、簡単には、見つからないようです。ここでの狩りは、あきらめたのか、こちらにだんだん近ずいてきました。

チュウヒは、どんどん対岸に近づいて、堤防を通り過ぎ、川沿いの道路を下を見ながら、翼をV字に保って通り過ぎていきます。

河川敷の葭原から堤防外の葭原に「狩り場」を移動して狩りをし始めました。

その後、大きく旋回して葭原を低空して、獲物を探しますが、ここでも、見つけられないようです。

後ろ髪をひかれるように、チュウヒは、遠くに飛んでいきました。

さて、初夢で見ると縁起が良いとされる「一富士二鷹三茄子(なすび)」に見られるように鷹は、縁起のいい動物です。初夢の由来は、天下人・徳川家康ゆかりの駿河国(するがのくに)の名物を指すそうです。

初夢だけではなく、一般に、鷹は強くて賢くて獲物を鋭い爪でがっちりと「掴(つか)む」ということで、「希望の物を獲得できる」縁起の良い鳥とされていたようです。

新年の探鳥で、縁起のいい鷹が見られ、感謝の気持ちと喜びで、心がいっぱいになりました。

また、中国最古の詩集「詩経」の中に「鷹揚(おうよう)」という言葉があるそうです。

この言葉が、日本に伝わり(今では少し内容に変化はあるそうですが)今でも使われています。

広辞苑には、(1) 鷹が空を飛揚するように、何物も恐れず悠然としていること。(2) ゆったりと落ち着いていること、と記されています。

今年も鷹のにあやかり、鷹揚に生きてみたいものです。







閑話休題ーインターネット・プロトコル



ふとしたきっかけで、今まで分からなかったことを「瞬間に会得する」ことがあるようです。

日本の曹洞宗(そうとうしゅう)開祖の道元禅師(どうげんぜんじ)の著作「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)の 「渓声山色(けいせいさんしょく)」の巻に「香厳撃竹、霊雲桃花」(きょうげんげきちく れいうんとうか)の話題が出てきます。 香厳(きょうげん)禅師は、「おそうじ」をしているとき、竹に小石がポンと撥(は)ねた音を聞いて悟(さと)り、 霊雲(れいうん)禅師は、桃の花を見て悟ったことが伝えられています。

また、宋の詩人であった蘇東坡(そとうば)は、谷川のせせらぎを聞いて一夜にして 悟ったといわれています。その時に詠んだ「投機の偈(げ)」(悟りをのべた詩)は、以下の通りです。

渓声便是広長舌  ケイセイ スナワチ コレ コウチョウゼツ
山色豈非清浄身  サンシキ アニ ショウジョウシンニ アラザランヤ
夜来八万四千偈  ヤライ ハチマンシセンノゲ
他日如何挙似人  タジツ イカンカ ヒトニコジセン


(意訳)

谷川の音は、そのままほとけの説法です。
山の姿は、そのまま清浄なる仏さんのお姿で、すべてが備わっています。
夜、八万四千偈のほとけの説法を聴いたように思われました。
どうしたらこの経験を人に伝えたらよいのでしょうか。



私は、悟っていないので、これほど感動する経験はないのですが、長く分からなかったことが、急に分かるようになって、とても嬉しくなった経験は、あります。

私は、20代から情報産業に従事していましたが、当時は大型コンピュータのバッチ処理のシステムが多く、通信はダム・ターミナル接続の中央集権システムであり、通信ネットワークは、限られた通信専門の技術者だけが心得ているような時代でした。 

その主流は、IBM が1974年に作ったシステム・コンピュータネットワーク・アーキテクチャSystems Network Architecture (SNA)であり、それに基づいたプロトコル・スタックが示されていました。

プロトコルとは、ネットワークを介してコンピュータ同士が通信を行う上で、相互に決められた約束事の集合を言い、通信手順、通信規約などのことです。)

この「SNAの7階層など」が、通信専門でないには私は、よくわかりませんでした。

別に、その概念が分からなくても当面の仕事に不自由ばないので、解らないまま放置していました。

ところが、だんだん時代が進んで、インターネットの時代がやってきました。その時代には、私も組織の管理職になっていて、システムの具体的なことは、部下のシステム・エンジニアやプログラマーにまかせていました。

しかし、彼らが通信システムの相談にやってきても、私が通信ネットワーク技術を理解していないので、彼らのいうことがよく理解できなくて困っていました。

部下は、就業時間中に、いろんな勉強会や講習会に出かけられますが、私は、部長会などの雑用も多く、就業時間中はもちろん、夜も勉強の時間がとれません。

移動中の車内とかこまぎれの時間を見つけて、専門書を読むのですが、同じ個所を何回読んでも、チンプン・カンプンです。

そんな時間が、何年も続きました。その頃はもう諦(あきら)めぎみになっていて、「時代遅れの私には、もう分からないのではないか」と思い始めていました。

でも、仕事に必要のため、しかたなく、勉強はつづけていました。

ある時、いつも分からない箇所を読んでいたら、何故か、突然、よく分かるのです。その箇所以外の分からないことも全部わかるのです。

その分かった場所は、「鬼平犯科帳」によく出てくる本所(ほんじょ)あたりを走っていた「車の中」でした。

IBMのSNAなどの個別ネットワークを汎用化した、OSI参照モデルのOSIの7階層から、TCP/IPなどを含むインターネット・プロトコル・スイートとそれらに関連する構造がどんどんわかってくるのです。


不思議なことですが、一生懸命やっていると、突然、道が開けることもあるようです。


そこで、ご参考までに、今や世界中で普及されている「インターネット」の基本技術について書いてみます。

インターネット・プロトコル(Internet Protocol)は、ネットワークの階層の境界をまたいだパケットのルーティングをになっており、インターネットの基礎部分となる重要な役割を持っています。

その役割は、送信元ホストから宛先ホストへIPアドレスに基づいてパケットを送付する役割を担っています。そのため、送付すべきデータをカプセル化したデータグラム構造が定義されています。また、送信元と宛先を示すのに使われるアドレッシング方法も定義されているのです。

インターネット・プロトコルの歴史は、ヴィントン・サーフとロバート・カーンが1974年に発表した Transmission Control Program のコネクションレスのデータグラムサービス部分がIPとなったものです。一方のコネクション指向の部分は Transmission Control Protocol (TCP) となりました。そのため、インターネット・プロトコル・スイートをTCP/IPと呼んでいます。

最初の主要バージョンが Internet Protocol Version 4 (IPv4) で、インターネットでも支配的に使われていますが、アドレス付与の限界が懸念されているため、現在は、後継の Internet Protocol Version 6 (IPv6) も利用が拡大しつつあるようです。

無料のインターネット電話なども、音声をデジタル化してパケットをインターネット・プロトコルを使って、全世界で利用されています。

また、現在では、IPv6下でのIPsecによるトンネリング技術により、ユーザ認証、パケットの暗号化及びなりすまし防止等がサポートされています。これらはIPv4を使う環境では上位レイヤ (TLS) 等で補完しなければならなかった機能です。

私たちは、インターネットの利便性ばかりを考えていますが、その基礎には多くの技術の積み重ねがあることも知っておくといいかもしれません。