なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

柳青める手賀沼遊歩道

最近寒さが遠のいて、ほんのり暖かい日が続いています。

手賀沼遊歩道の柳も全体にうっすらと淡いグリーンになってきました。

よく見るとまだやっと芽生えた葉っぱが顔をだしています。

その近くには、まだ、つぼみが固い、白梅の木が2〜3輪の花をつけて春の訪れを待っているようです。

あいにく、天気予報では、また、すぐに、冬の寒さがやってくるようなのですが・・・




閑話休題ー「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」の生死と良寛(りょうかん)さん


正法眼蔵」は、禅思想(ぜんしそう)の神髄(しんずい)が説かれています。

正法眼蔵」は、日本曹洞宗の開祖である道元禅師(どうげんぜんじ)が、唐より帰国後の1231年から1253年まで生涯をかけて著した87巻に及ぶ大著です。

フランス文学者であり作家の栗田勇氏の著作「道元の読み方」(祥伝社)は、フランス文学に精通している著者が書いた「正法眼蔵」の美しい表現の解説書です。

以下に、道元禅師の生死(しょうじ)と正法眼蔵を愛読した良寛さんのお話を「道元の読み方」から抜粋加筆して書いてみます。

「たき木はい(灰)となる、さらにかえりてたき木となるべきにあらず。しかあるを、灰はのち、薪(たきぎ)はさきと見取(けんしゅ)すべからず。しるべし、薪は薪の法位に住して、さきありのちあり、前後ありといえども、前後際断(さいだん)せり」

「生も一時のくらいなり、死も一時のくらいなり。たとえば冬と春のごとし。冬と春となるとおもわず、春の夏となるといわぬなり。」

           現成公案(げんじょうこうあん)の巻より



ここでいう「一時」は「いっとき」ではなく「全時」なのです。つまり

One time is all time.

です。一時は部分ではなく全体です。

「生も一時のくらいなり」生はそれだけで完璧なひとつの状態なのです。
「死も一時のくらいなり」死もそれだけで完璧なひとつの状態なのです。

つまり、道元禅師は、いまはいま、それがすべてだといっているのです。

時間の経過によって、たきぎが灰になるのではなく。たきぎは、たきぎのままで完結しており、灰が時間経過によって薪が灰になったのではなく、灰は灰の状態で完結していて、それぞれ別の独立しているすべてなのです。

木が灰になり、生きていたのに死んでしまった、「生」が時間経過で「死」になったわけではありません。

生はそのまま生であり、死はそのまま死なのです。

人間はいつか死んでいきます。したがって人間には生と死という裏と表がある。しかし、そのどちらか一方ではなく両面が人間の全存在なのです。死も生も合わせて一本です。

良寛さんの歌に

「形見(かたみ)とて何か残さむ 
    春は花 山ほととぎす 秋はもみじ葉」

というのがあります。

形見になにも残すものはありません。自分はただ死んでゆく、死んだあとにも自然は豊かな四季をくりかえしていくのです。

良寛さんは、正法眼蔵をよく読んでいたようで、「読永平録(どくえいへいろく)」という漢詩を読んでいます。

当時は、正法眼蔵が流布(るふ)されていなくて、手書きで細々と伝えられていたようです。正法眼蔵が印刷されたのは文化八年(1811年)のことで、僧侶だけには知られるようになったそうです。




         読永平録     永平録を読む

春夜蒼茫二三更  春夜蒼茫二三更
春雨和雪灑庭竹  春雨、雪に和して庭竹にそそぐ
欲慰寂寥良無由  寂寥を慰めんと欲するもまことに由なく
背手摸索永平録  背手摸索す永平録
明窓下几案頭   明窓の下、几案のほとり
焼香点燈静被読  香をたき燈を点して静に被読す
身心脱落只貞実  身心脱落はただ貞実
千態万状竜弄玉  千態万状、竜、玉を弄ぶ
出格機擒虎児   出格の機、虎児をとりこにし
老大風像西竺   老大の風、西竺にかたどる
憶得疇昔在円通時 憶い得たり疇昔に円通に在りし時
先師提持正法眼  先師提持す正法眼
当時洪有翻身機  当時おおいに翻身の機有り
為請拝閲親覆践  為に拝閲を請い親しく覆践す
転覚従来独用力  うたた覚る従来独り力用いしを
由是辞師遠往返  是により師を辞して遠く往返す
吾与永平何有縁  吾と永平と何の縁ある
到処奉行正法眼  到る処、奉行す正法眼
従爾以後知幾歳  それより以後、幾歳なるを知らず
忘機帰来住疎懶  機を忘じ帰来して疎懶に住す
今把此録静参得  今この録を把りて静に参得し
迴与諸方調不混  はるかに諸方の調べと混ぜず
玉兮石兮無人問  玉か石か、問う人なく
五百年来委塵埃  五百年来、塵埃に委ねしは
職由是無択法眼  もとより是れ法を択ぶ眼無きに由る
滔滔皆是為誰挙  滔滔皆是れ誰の為に挙する
慕古感今労心曲  古を慕い今に感じて心曲を労す
一夜燈前涙不留  一夜燈前、涙、留まらず
湿尽永平古仏録  湿い尽くす永平古仏録
翼日隣翁来草庵  よくじつ、隣りの翁、草庵に来たり
問我此書因何湿  我に問う此の書何に因って湿うと
欲道不道意転労  いわんと欲していわず、意うたた労す
意転労兮説不及  意うたた労すれど説き及ばず
低頭良久得一語  低頭しばらくして一語を得たり
夜来雨漏湿書笈  夜来の雨漏、書笈を湿すと


良寛さんは、この漢詩で、自分の若いころの「正法眼蔵」との出会いとその研鑽(けんさん)を思い出し、「今この立派な本を問題にする人間が誰もいない」と嘆いて涙が止まらないと歌っています。

早春の手賀沼遊歩道の柳や白梅をみていると、「生は死に溶け込んでいく」ような気がしました。