なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

満開の白梅

啓蟄(けいちつ)も過ぎたのに大寒波が停滞する模様です。

この梅林にも強い寒風が吹いて花が吹き散るのかと心配になりますが、・・・

満開になりたての花の勢いは風などにびくともするものではありません。


白梅の力強さは、「明日も頑張って」と勇気づけてくれました。



「白梅や
     ひと日みなみを
            あこがれぬ」  ( 石川啄木






閑話休題盤珪禅師(ばんけいぜんじ)の不生禅(ふしょうぜん)


玉城 康四郎(たまきこうしろう)著「日本の禅語録16盤珪」の「はしがき」に

「何度か書いたり語ったりしたことだが、あれは昭和十五、六年であった。鈴木大拙盤珪の不生禅」そしてその翌年、岩波文庫の「盤珪禅師語録」が出たのは。

実存の問題に悩まされていた私は、すぐにそれに飛びついた。問題の解決は、オヤッと思うほど簡明率直でなければならぬということは、理解していたので盤珪の不生は「此処に、今」天与のものという感を深くした。

「語録」を読み進むうちに、いかなる他の禅者よりも、それが真実のものにみえてきたのである。」

と書かれています。

この高名な仏教学者の回想だけでなく、私も盤珪さんの語録で悩みが薄らいだ経験があります。

岩波文庫の「盤珪禅師語録」の紹介文によれば

臨済宗の名僧盤珪は、人は生まれたときから不生の(生を超越した)仏心を具有していて改めて悟る必要はなく、迷いは不断仏心のままでいないところに起る、と説いた。盤珪の足跡は関東から四国・九州に及び、その弟子五万余、日常の話し言葉で禅を説いて民衆に広めた。最も純粋な禅の代表者として世界的にも注目されている。」

と紹介しています。

盤珪さんは、姫路の出身なので、姫路の方言まじりの説法です。その説法の筆記なのでちょっと読みにくいですが 彼の語録から少し抜き書きしてみます。
      
「ただ今、みなの衆は、いかい仕合わせでござる。身どもなどが若き時分は、名知識がござらなんだか、又ござっても、不縁でお目にかからなんだか、殊に身ども、若い時分から鈍にござって、人の知らぬ苦労をしまして、いかいむだ骨を折りましてござる故に、懲り果て、みなの衆には、むだ骨を折らしませずに、畳の上にて、楽々と法成就させましたさに、精を出して、このように毎日々々出まして、催促することでござるわいの。

皆の衆は仕合わせなことでござるわ。このような法を説く人が、どこにござろうかいの。身どもが若き時分は、鈍にござって、むだ骨を折りました事を、みなの衆に話して聞かせましとうござれども、自然若き衆のうちに、身どもがように骨を折らねば、法成就する事はならぬように思わしゃって、骨を折りますれば、身どもがとがでござるによって、話して聞かせとうはござらねども、さりながら若き衆、よく聞かしゃれい。
身どもがようにむだ骨を折らいでも、法成就しまする程に、必ず盤珪がようにせいでも、法成就すると、先ずそう思って聞かしゃれい」

           −−−−−−−−−

「身どもがここに住してより、四十年来、よりより人に示しを致す故、この辺りには、善知識に勝(まさ)った者が多くできました程に、みなの衆もこの度、遠方より大儀してござった甲斐には、念にしかえぬように、不生の道理をとくと決定し、法成就して帰らしゃれい」


自分が説く不生の道理をとくと決定すれば、へたに修行した善知識よりも悟った人になると言っています。

盤珪さんが言いたいのは、いくら苦しい修行をしても無駄骨を折るだけだということのようです。

座禅などを経験したことがない私などは、座禅もしないで道元禅師の正法眼蔵を読んでいる「うしろめたさ」が常にあります。道元禅師の禅は、「ただ座れ」なのですから。盤珪さんの語録で大分楽になりました。

同じ禅宗でもいろいろあるんですねぇ〜。

まあ、修行のきらいな私には好都合な語録なのかもしれません。

でも、この語録を読んでいると、気持ちが楽になってくるのがいいですねぇ〜