なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

手賀沼遊歩道のコイカル

去年の暮から今まで、なかなか会えなかった手賀沼遊歩道のコイカル君にようやく会えました。

毎年冬になると遊歩道に飛来するコイカル君ですが、今シーズンは、あまり遊歩道に来てくれませんでした。遊歩道にエサが少なかったのかもしれません。

今日は、「春うらら」の上天気なのに、コイカル君は暗いところに長時間隠れていて明るいところに出てくれませんでしたが、「キョッ キョッ」「キョー キィコ キィー」と何度も鳴いてくれました。

晴れた青空でさえずる写真が撮りたかったのですが、コイカル君のとても澄んだ素敵なさえずりが聞けたし、なんとか撮影もできたので、それだけで満足すべきなのかもしれません。

おまけとして、以前撮ったこのコイカル君の若いころの写真を最後に添付します。
若いころのこのコイカル君はスマートなイケメンだったのですが・・・



杜甫(とほ)の五言古詩「衛八處士(えいはちしょし)に贈る」の一節を思い出しました。

  人生不相見  人生相見ざること
  動如參與商  動(やや)もすれば參と商との如し
  今夕是何夕  今夕は是れ何の夕ぞ
  共此燈燭光  此の燈燭の光を共にす
  少壯能幾時  少壯能く幾時ぞ
  鬢發各已蒼  鬢發各々已に蒼し
  訪舊半為鬼  舊を訪へば半は鬼と為る
  驚呼熱中腸  驚呼して中腸熱す

(意訳)
君となかなか会えないのは、參商(オリオン座さそり座)のふたつの星のようです。幸運にも今夕、あなたと明かりをともにすることができました。

若いときは束の間に過ぎ、お互い髭も髪もすっかり白くなりました。昔の人の消息を聞けば、半ばは既に死んだとのこと、驚きの余り腸が熱くなるのを感じます。


コイカル君も私も年をとりました。

でも、お互い「この漢詩ほど老いてはいない」と思いますので、コイカル君も私も健康で来年も遊歩道で会えることを確信しています。



このコイカル君の若い時撮影した桜の花の咲くころの写真です。