なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

行水(ぎょうずい)するハクセキレイ

暑い日になりました。

小鳥たちも暑さをしのいでいます。「カラスの行水(ぎょうずい)」という言葉がありますが、カラスだけではなく他の鳥たちもやっています。

暑さに耐えかねたハクサキレイも手賀沼遊歩道付近の水場で、長時間、行水していました。


「行水」、夏の風情漂(ふぜいただよ)う懐(なつ)かしい言葉ですね。

幼少の頃、夏になると母親が盥(たらい)を外に出して、その中にお湯を入れ、私の身体を洗ってくれました。優(やさ)しかった母の記憶が遠く微(かす)かに残っています。

今では手間のかかる行水はほとんど行われなくなり「つるべ」と同様、すでに「死語(しご)」となっているのかもしれませんね!


ところで、行水という言葉は、お経(きょう)の中から出た言葉のようです。

初期の仏典(ぶってん)である長阿含経(じょうあごんぎょう)卷第二の中に出てくるそうです。この巻の内容はお釈迦様(しゃかさま)の「最後の旅」と涅槃(ねはん)について書かれています。

「手に自(みずか)ら斟酌(しんしゃく)して食おわりて行水し」と書かれているそうです。

つまり、行水は、もともと、食後、鉢や手を洗うことをいったそうで。そこから、清水で体を洗い身を正すことの意味となったようです。

つまり、行水は身体を清めて汚(よご)れ、穢(けが)れを落とす行為だったようです。

また、行水は、仏教の禊(みそぎ)の行為だけではなく、江戸時代の庶民(しょみん)の「夏の入浴行為のひとつ」でもありました。そのためか、行水はよく江戸時代の浮世絵(うきよえ)のテーマとして描かれています。

MOA美術館」所蔵の喜多川 歌麿(きたがわうたまろ)作「寒泉浴図(かんせんよくず)( 絹本着色)」などは、江戸時代の裸婦画(らふが)の作品として有名です。

この浮世絵は、風呂に入る女性の後姿(うしろすがた)の爪先(つまさき)立ちの姿が描かれていて、なかななか色気(いろけ)のある作品です。

ハクサキレイは鳥なのでそんな色気はないのですが、気持ちよさそうにあちこち位置を変えながら何度も何度も水浴びしていました。

その姿はとても無邪気(むじゃき)で可愛(かわい)いので、時間を忘れて見とれてしまいました。



「ひたひたと 水うちすりて とぶ鳥の
        鶺鴒(いしたたき)多し この谷川に」  (若山牧水


注:セキレイの漢字は、「鶺鴒」と書きますが、セキレイがシッポをよく振って石の上を飛びはねるので「いしたたき」とも呼称されました。