なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

道路にたたずむサンカノゴイ

サンカノゴイの撮影に印旛沼へ7月中3〜4回行きましたが、声は聞こえるのですが姿は見せてくれませんでした。

この写真は今年の6月30日に撮影したものですが、7月にサンカノゴイを撮影することができなかったので、時期を失しているのですが掲載します。

例年ですと、7月に何回かサンカノゴイに会えるのですが・・・


この日のサンカノゴイは田んぼから道に出てきてあたりを見まわしていましたが、すぐに青田の波に姿を消しました。

今後もサンカノゴイを撮影するために印旛沼に通うつもりですが、今年は望薄かもしれません。


それにしても暑いですねぇ〜。


以下に暑さを忘れる「禅宗の極意ごくい)」をご紹介します。


        「心頭を滅却すれば火も自(おの)ずから涼し」


    (無念無想の境地にあれば,どんな苦痛も苦痛と感じない。)


この句の出典は唐時代の詩人、杜荀鶴(とじゅんかく)の次の詩からきているそうです。



    夏日題悟空上人院 (夏日(かじつ)悟空上人(ごくうしょうにん)の院に題す) 


    三伏閉門披一衲 三伏(さんぷく)門を閉ざして一衲(いちのう)を披(ひら)く
    兼無松竹蔭房廊 兼ねて松竹の房廊(ぼうろう)を蔭(おお)う無し
    安禅不必須山水 安禅(あんぜん)は必ずしも山水を須(もち)いず
    滅却心中火亦涼 心中を滅却すれば火も亦(ま)た涼し

(意訳)
  夏の暑さの最も厳しい時、門も閉め、僧衣を着て、
  その上、松や竹などの木が、屋敷内を木陰で覆うということもない
  心の安らぎを得るためには、静かな山や川といった環境が必要というわけではない
 暑いと思う心を無くすることができれば、火でさえも涼しく感じることが出来るのである。

杜荀鶴のこの詩は中国北宋時代に編纂された禪宗の古典「碧巌録(へきがんろく)」の第43則に転用されてその時に

  安禅は必ずしも山水を須(もち)いず 「心頭を滅却すれば火も自(おの)ずから涼し」

となりました。

以来、禅家(ぜんけ)の公案(こうあん)とされ,1582年甲斐(かい)の恵林寺織田信長に焼き打ちされた際,快川(かいせん)和尚がこの偈(げ)を発して焼死したという話が伝えられています。