なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

里芋の葉

「 芋の露 連山影を 正しうす 」    (飯田蛇笏)


意訳
里芋(さといも)の葉に露が宿って、その一粒一粒に山々が影を宿しています。
芋の葉や露は小さくても、その中に山々の雄大な景観を包み込んでいます。



我が家の近くの畑に里芋が生えています。

大きな大きな葉っぱが印象的です。里芋の葉っぱは、水をよくはじきます。
雨水は水玉となって葉のうえを転がります。

里芋の葉っぱを見ていると、里芋の葉っぱを傘代わりに頭にかぶった、懐かしい「子供の頃の記憶」が蘇ってまいります。

古来、芋(いも)という言葉は、ジャガイモ、やサツマイモではなくサトイモのことで、自然薯などのヤマイモと区別して使われていたようです。

鎌倉時代に書かれた兼好法師(けんこうほうし)の「徒然草 つれづれぐさ」第60段に、芋頭(いもがしら)というイモが書かれていますが、これは、里芋の親芋(おやいも)をさしているようです。

徒然草」は、「枕草子 まくらのそうし」「方丈記 ほうじょうき」とともに日本三大随筆に数えられる名文ですし、この第60段は、面白いので、その冒頭をご紹介してみます。

徒然草 第60段

「真乗院に盛親僧都とてやんごとなき智者ありけり 芋頭といふものを好みて多く食ひけり 談義の座にても大なる鉢にうづたかく盛りて膝もとにおきつつ食ひながら書をも読みけり 煩ふことあるには七日二七日など療治とて籠り居て思ふやうによき芋頭をえらびてことに多く食ひてよろづの病をいやしけり 人に食はすることなし ただ一人のみぞ食ひける」

意訳

仁和寺(にんなじ)の塔頭(たっちゅう)の真乗院(しんじょういん)に盛親僧都(じょうしんそうず)という,とっても尊い高僧がいました。 里芋が大好きで大量に食べていました。

説法集会の時でも大鉢に山の如く積み上げて、膝の近くに置いて食べながら本を読んでいましたし、疾病すれば、一二週間入院して思い通りの良い芋を選別し、普段よりも大量に食べ、どんな大病も完治させました。

また、誰にも芋をやらず、いつも独り占めしていました。

この後のお話も面白いのですが、長くなりますので省略します。