なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

桜の木に止まるツツドリ

旅の途中のツツドリが桜の木の枝で休んでいます。

晩春に夏鳥として渡来して夏にかけて日本の千メートル級の山々で、ボッ、ボツと鳴いていたツツドリたちが、秋になると東南アジアに越冬のために帰る途中で、この公園の桜の木にもやってきます。

今は、あまり鳴きませんが、託卵(たくらん)する鳥のわりに「おどけような顔」をしています。

9月のはじめには、飛び立つことでしょう。



「これも又 さすがにものぞ あはれなる
           かた山かげの つつとりの声」    (寂蓮)






喫茶去(きっさこ)ー花の命は短くて


秋になると、物思いにふけることがよくあります。

以下の有名な歌に取り上げられているように、人生の中で嬉(うれ)しい時は、一時(いっとき)で苦しいことばかり続いているように感じます。


「花の色は うつりにけりな いたづらに
       わが身世にふる ながめせしまに」  (小野小町


「花の命は短くて 苦しきことのみ 多かりき」   (林芙美子


       春夜宴桃李園序   (李白

夫天地者万物之逆旅、光陰者百代之過客。
而浮生若夢、為歓幾何。

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春夜(しゅんや)桃李園(とうりえん)に宴(うたげ)するの序 (じょ) (李白

夫(そ)れ天地(てんち)は万物(ばんぶつ)の逆旅(げきりょ)にして、光陰(こういん)は百代(はくたい)の過客(かかく)なり。

而(しこう)して浮生(ふせい)は夢のごとし、歓(かん)を為(な)すこと幾何(いくばく)ぞ。


私たちが四苦八苦(しくはっく)

注)「四苦」とは、生・老・病・死(しょう・ろう・びょう・し)の四つの苦しみ。
 「八苦」とは、愛別離苦(あいべつりく愛する者との別れの苦しみ)・怨憎会苦(おんぞうえく恨み憎む者に会う苦しみ)・求不徳苦(ぐふとくく 求めているものを得られない苦るしみ)・五蘊盛苦(ごおんじょうく 心身を形成する五つの要素から生じる苦しみ)

しているこの人生をどう乗り切っていけばよいのでしょうか?

般若心経(はんにゃしんぎょう)の言う般若(はんにゃ)の知恵で乗り切るのでしょうか?

般若心経の名文句、色即是空 空即是色(しきそくぜくう くうそくぜしき)で言う空(くう)を感ずれば乗り切れるのでしょうか?

私たち、凡人(ぼんじん)には悟(さと)ることは、とても無理のように思えます。

では、弘法大師(こうぼうだいし)空海(くうかい)さんの「般若心経秘鍵(はんにゃしんぎょうひけん)」の一文(いちぶん)

真言不思議 観誦無明除 一字含千理 即身證法如

真言(しんごん)は不思議なり 観誦(かんじゅ)すれば無明(むみょう)を除く 一字に千理を含み 即身(そくしん)に法如(ほうにょ)を證(しょう)す]

に言うように真言を唱(とな)えて乗り切るのでしょうか?

私は、困ったとき、真言を唱えたりもしますが、

般若心経を私の人生に役立てようとすると、「自分を壊(こわ)して生きる」ことのように思えるのです。

自分を壊すというのは、「私という自我(じが)の思い」を極小(きょくしょう)にしてゆくことです。

私が、困った時は「不安なことや種々の不満」が心に充満(じゅうまん)しているときです。

自分が可愛くて仕方が無いときです。哀れな自分が心に「いっぱい」つまっているのです。

そんな時、「自分を壊し、自分を捨て去り、無心になって」一歩前に進むことを考えます。

禅(ぜん)の言葉に

「百尺竿頭進一歩」(無門関)

「百尺竿頭(ひゃくしゃくかんとう)に一歩を進む」

という教えがあります。


  百尺(ひゃくしゃく)竿頭(かんとう)に坐(ざ)する底(てい)の人、
  然(しか)も得入(とくにゅう)すと雖(いえ)ども、未(いま)だ真を為さず、
  百尺竿頭に須(すべから)く歩を進め、十方世界(じゅっぽうせかい)に全身を現ずべし。  
                             無門関(むもんかん)



谷に掛かった長い竹ざおの先から一歩前に踏み出せば、命を失うことになります。

自分というものを捨てなければ一歩前にすすめません。

しかし、ここで「清水の舞台(きよみずのぶたい)から飛びおりる」気持ちで、無心に一歩前にすすむのです。

とても難しいことですが、どうしても困ったときは、これも一つの方法かもしれません。

勘違いしては困るのですが、これは「自殺」とは、何の関係もありません。あくまで、強く生きる方法を言っているのです。

自分をさらけだし「覚悟を決めてのぞめ」ば何とかなりそうな気がしてきます!


「秋来ぬと 目にはさやかに みえねども
        風のおとにぞ おどろかれぬる」

                 (古今和歌集 藤原敏行

もう秋がそこに来ているようです。