なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

道端に咲く彼岸花

柏市の布施弁天(ふせべんてん)の道端に、彼岸花(ひがんばな)が咲いていました。

毎年、秋のお彼岸に近づく頃に咲く彼岸花,別名、曼珠沙華(まんじゅしゃげ)!



「まんじゅしゃげ あつけらかんと 道の端」  (夏目漱石



この赤い花は、あたりの緑と補色対比して、とても鮮やで妖しく咲いています。


別名の曼珠沙華は、「法華経」序品(ほけきょうじょほん)に出てくるサンスクリット語の音写に由来(ゆらい)するといわれています。

法華経」序品は、いろいろなエピソードが出てくる法華経の序章で、オペラにたとえれば序曲であり、スペクタクルが展開する雄大なプロローグなのです。

つまり、お釈迦様(おしゃかさま)が、霊鷲山(りょうじゅせん)で、結跏趺坐(けっかふざ)して瞑想(めいそう)にふけり、今までに聴いたこともないような、大乗のとても大切な説法(せっぽう)が、始まる寸前の、瑞兆(ずいちょう)が現れるプロローグなのです。

曼珠沙華は、そのドラマを演出する花なのです。以下にその部分を示します。

「是の時に、天より曼陀羅華(māndārava)・摩訶曼陀羅華・曼珠沙華(mañjūṣaka マンジューシャカ)・摩訶曼珠沙華を雨(あめふら)して、仏の上、及び諸(もろもろ)の大衆に散(さん)じ、普(あまね)く仏の世界、六種に震動(しんどう)す。」

実は、これらの花は、順に白蓮華大白蓮華・紅蓮華・大紅蓮華といわれていて、インド語で表された花である紅蓮華 (ぐれんげ)は、赤いハスの花であり、全国に咲いている、中国伝来の赤い彼岸花とは別の花と考えられます。

また、一般に仏教でいう曼珠沙華は「白くやわらかな花」とも言われるので、いずれにしろ、写真掲載の彼岸花とは異なります。

ところで、以前、彼岸花を掲載した私のブロクで、以下のように記述しました。

以前掲載の曼珠沙華の説明文

「有名な仏典の法華経(ほけきょうー妙法蓮華経)の序品に「仏はこの経を説きおわられ、結跏趺坐(けっかふざ)し、無量義処三昧(むりょうぎしょざんまいー無限の奥深い意義の基礎という三昧)に入りて、身心動じたまわざりき。そのとき、天は曼陀羅華(まんだらけ)、摩訶曼陀羅華(まかまんだらけ)、曼殊沙華(まんじゅしゃけ)、摩訶曼殊沙華(まかまんじゅしゃけ)をふらして仏の上および大衆の上に散じ、あまねく仏の世界は六種に震動(しんどう)す」とあります。

曼珠沙華は、法華経を説きおわったブッダの頭上に天から降ったありがたい花なのです。」

この曼殊沙華(mañjūṣaka マンジューシャカと写真掲載の「赤い彼岸花」とは、同じ花でないことをお知らせさせていただきます。

それでも、お彼岸を忘れずに咲く「彼岸花」は、彼岸の意味から考えてみると、何か仏(ほとけ)に縁(えん)のある、到彼岸(とうひがん)「波羅蜜(はらみつ・パーラミタ−)の花」なのかもしれません!

法華経に出てくる花でなくても、般若の智慧(はんにゃのちえ)つまり「覚り(さとり)」が得られる「ありがたい花」なのかもしれません。

この彼岸花の根には、毒があるのですが、この毒は、根を水にさらせば、消え去るそうなので、この根に含まれる澱粉(でんぷん)が、江戸時代の飢饉(ききん)の時の非常食としても利用されたようです。

彼岸花は、農民にとっても命をつなぐ「ありがたい花」だったのかもしれません。



布施弁天の道端には、赤い彼岸花のほかに白い彼岸花も咲いていました。




曼珠沙華 ひたくれなゐに咲き騒(そ)めく 
          野を朗らかに 秋の風吹く」 (伊藤左千夫)