なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

涸沼上空を飛ぶオオワシ

涸沼(ひぬま)は、東茨城台地、鹿島台地に囲まれた周囲約22km、面積9.35km2、関東地方で唯一の汽水湖だそうです。

涸沼は、涸沼川・那珂川を経て、約7.5kmの近距離で海に注いでいます。満潮時には川が逆流し、涸沼に海水が流れ込むため、涸沼は海水と淡水が混じる汽水となるとのことです。

涸沼には1998年から同じオオワシ(大鷲)が毎年飛来しており例年2月初旬から3月中旬まで周辺にとどまり、シベリア方面に旅立つため多くのバードウォッチャーが集まります。

でも、広い広いこの涸沼に1羽しかいないオオワシなので、いつも見られるわけではありません。

私も今年2月になって2度、涸沼に来ましたが、2度ともオオワシに会うことができませんでした。そこで今回こそはオオワシに会いたいと涸沼に来てみました。

2月21日(日曜日)の午前9時半ころには、20人近くのカメラマンや20〜30人の探鳥会のウォッチャーがオオワシを見るために涸沼の堤防に集まっていました。

しかし残念ながら、今回も、皆が期待して待っている、その場所から見える範囲にオオワシは現れませんでした。

私は、朝早くから待っていてたのですが、なかなかオオワシが現れないし、水辺にいたので体が冷え切ってしまいました。

やむなく、堤防の上に椅子を置いたまま、歩いて網掛公園のトイレに向かっていると、なんと公園近くの駐車場側の森の木にとまっていたオオワシが、はるか彼方の涸沼上空を横切って対岸に向かって飛んでいるのが見えました。

点のように小さく見えるオオワシですが、3度目でやっと会うことができました。

団体で来ていた探鳥会の人はおそらく見ることができなかったと思いますし、撮影できたカメラマンも、多分、数人もいなかったのではないでしょうか?

遠い遠い対岸の木に飛び去ったオオワシは、その木の上にたたずんで、ずっと動きませんでした。

その場所は、あまりに遠いので双眼鏡で見ても豆粒ほどにしか見えません。

そのため、オオワシが、こちらに飛んでくることを期待して、私たちは、お昼ちかくまで待ってみましたが、オオワシはいつの間にか姿を消してしまいました。

多くのウォッチャーの目が、このオオワシを注目していたにもかかわらず、あまりに遠い場所で長時間動かないので、誰もオオワシの移動に気がつかなかったようです。

オオワシは、日本では1970年に国の天然記念物に指定され、さらに1993年に種の保存法施行に伴い国内希少野生動植物種に指定されていて、1985年〜86年における日露両国調査によるカムチャッカ北日本の個体数調査によって越冬生息数は約5,200羽と推定されたそうです。

また、近年のわが国での越冬数は1500羽前後かそれ以下と推定されているようです。

オオワシは、その名前のように、「王者の風格」を持っている、わが国最大(全長85cm〜102cm、翼開長:220-245cm)の猛禽(もうきん)で、環境省レッドリストで絶滅危惧II類(VU)に指定されている希少な鳥です。

今回、オオワシは近くを飛んでくれませんでしたが、希少種のオオワシに、やっと会えたので、それなりにラッキーだったのかもしれません。



「大鷲の 嘴(はし)にありたる ぬけ毛かな」  (高浜虚子



オオワシと以下の歌は関係はありませんが、「鷲」という言葉があるので、ちょっと脱線


「鷲がすむ 筑波の山の 裳羽服津(もはきつ)の その津の上に
率(あども)ひて 未通女(をとめ)壮士(をとこ)の
行き集(つど)ひ かがふかがひに 他妻(ひとづま)に 我も交はらむ
我が妻に 人も言問(ことと)へ この山を うしはく神の
昔より 禁(いさ)めぬわざぞ 今日のみは めぐしもな見そ ことも咎(とが)むな」

    高橋虫麻呂 (万葉集


意訳:「猛禽類がすむ筑波山の 裳羽服津の渡し場の上に
連れ立って女と男が集まり 歌を掛け合う歌垣(うたがき、かがい)で
人妻にわたしも交わりましょう。わたしの妻に人も言い寄りなさい。
この山を治める神様が 昔から禁じていない行事なのだから
今日ばかりは非難の眼差しで見てはなりません。咎める言葉も言わないように。

注:筑波山は、男体、女体の二峰が、寄り添うように立っているので、古来より縁結び・夫婦和合の神様と言われています。奈良時代には「婚活の場」としても有名だったようです。