なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

再掲:ヒグラシ

今回も以前に撮影したヒグラシの写真を再掲します。

ヒグラシは、俳句では秋の季語とされ、晩夏に鳴くセミのイメージがありますが、実は、成虫は梅雨の最中の6月下旬頃から7月にかけて発生し、ニイニイゼミと同じく、他のセミより早く鳴き始めるそうです。以後は9月中旬頃までほぼ連日鳴き声を聞くことができるようです。


 「 また蜩(ひぐらし)のなく頃となった。

      かな かな、 かな かな。

      どこかに いい国があるんだ。」

          山村暮鳥 詩集「雲」より


意訳:またヒグラシの鳴く季節になりました。どこかに「かな・かな・かな」とのんびりとヒグラシが鳴いているような素晴らしい桃源郷(とうげんきょう)があるんだなぁ!






付録:山寺(立石寺)のセミ論争について


「閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声」

松尾芭蕉 奥の細道より)


ここで詠まれているセミが、どんなセミであるか、単数か複数かなどにについて多くの議論があり、昭和の初期には、歌人斎藤茂吉(1882〜1953)と、夏目漱石門下で芭蕉研究家の小宮豊隆(1884〜1966)との間で激しい論戦が繰り広げられたようです。

茂吉はアブラゼミであると主張し、小宮はニイニイゼミであると主張したそうです。

山形県出身の茂吉は、山寺のことだけに一歩も譲らずアブラゼミであるはずだと頑張るので、これらのセミの活動時期を調べ論戦に決着をつけようということになって、実際に山寺に入って調査が行われました。

その結果、芭蕉が山寺を訪れた7月13日(新暦。旧暦では5月27日)ごろ鳴き出しているのはニイニイゼミで、山寺界隈ではこのころまだアブラゼミは鳴かないということになり、茂吉が敗れた形で蝉論議終結したようです。

「セミの自然史」には、もっと詳しく、次のように記載されているようです。

実態調査の結果、芭蕉立石寺を訪れたのは太陽暦の 7 月 13 日である。この頃山形に出る可能性のあるセミはエゾハルゼミ( 5 月〜 7 月上旬)、ニイニイゼミ( 6 月下旬〜 8 月下旬)、ヒグラシ( 7 月上旬〜 8 月下旬)、アブラゼミ( 7 月中旬〜 8 月下旬)であろう。 7 月 13 日というと、ヒグラシ、アブラゼミは初鳴きがぎりぎりのところ、エゾハルゼミは終鳴期で共に出現期に難がある。また鳴き声からいっても、エゾハルゼミ、ヒグラシ、アブラゼミ共に句にそぐわない。つまるところ“芭蕉立石寺の蝉”はニイニイゼミ以外にはないと云うことになる。」

この論争は小宮豊隆が主張したニイニイゼミで決着したのですが、俳句のセミで実態調査をするとは恐れ入りました!