なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

手賀沼公園のオオバンたち

もう冬鳥のオナガガモやユリカモメが手賀沼に飛来し始めているようですが、まだ手賀沼公園には集結していないようです。

21日の午後、オナガガモやユリカモメを期待して手賀沼公園のボート乗り場付近を探してみましたが、どちらも見つけられませんでした。

いつもオナガガモのいる付近には我孫子市の鳥のオオバンたちが群れていました。

子供づれの親が岸辺近くに来ると、オオバンたちはボート近くにいたのも、岸辺近くにいたのも、エサを期待して一斉に親子めがけて集まりました。

でも今回来た親子はエサをくれなかったので、当て外れになったオオオバンたちは、またバラバラに分散してしまいました。

オオバンたちが公園にくる人々から貰うエサを独占できるのも今のうちで、もう少しするとオナガガモやユリカモメと競合することになることでしょう。




喫茶去:真空と色即是空


普通、真空というと何もない空間を意味しています。

しかし、現代物理学の量子論では、真空は、観測できない素粒子で埋め尽くされているという仮説が出ています。

この観測できない素粒子は「ヒッグズ粒子」と呼ばれています。

その他の仮説に、ディラックが提唱した真空は観測できない電子で埋め尽くされているという「ディラックの海」という仮説もありますが、今回はヒッグス粒子と真空について見てみましょう。

今、そのヒッグズ粒子がない空間が作れたとすると、それこそ本当の真空ということになります。

そういう本当の真空の空間があるとすると、ヒッグズ粒子で埋め尽くされた普通の真空空間との間にエネルギーの差があることになり、エネルギーが取り出せるという仮説があるようです。

ただ仮に仮説が正しいとしても、本当の真空を作るには膨大なエネルギーが必要とされており、現実にはできないようですし、その真空から取り出せるエネルギーがどれくらいの量なのかについても諸説があって、未だに定まっていないとのことです。

現代の物理学でも、はっきりしていない部分もあるようですが、どうも本当の空っぽは現実にはできないようなのです。

真空には何かが「ある」ようなのです。

まさに般若心経の「色即是空 空即是色」の世界なのです。

つまり、あらゆる物は、「空っぽ」で、「空っぽ」は、あらゆる物なのです。

大乗仏教の世界と現代物理学の世界には何か相通ずるものがあるような気がします。