なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

オグロシギの上空を飛ぶダイサギ

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上の写真はコンデジパナソニックLUMIX DMC-FZH1 (開放F2.8-4.5光学20倍(35mm判 換算で24mm〜480mm)のLEICA DC VARIO-ELMARITレンズ付き)で手持ち撮影しました。

 

稲敷市の蓮田でオグロシギのいる上空をダイサギが飛んでいきましたが、オグロシギは、何も反応しませんでした。

 

喫茶去

10月21日上野の国立博物館運慶展に行ってきました。

 

無著(むちゃく)と世親(せしん)の彫刻にとても惹かれました。

 彼らは4世紀のガンダーラ(現在のパキスタン)で活動した兄弟の学者で「唯識思想(ゆいしきししそう)」の基礎を築いたとされています。

唯識思想」とは、弥勒によって説かれた教義を体系化したものだそうで、後に中国で法相宗の根本教義となりました。

兄の無著が法相教学を学び、末弟の世親がそれを大成したとされています。

無着・世親像は、とてもリアルでまるでその人がそこにいるようでしたが、日本人の顔つきです。

 

でも彼らは アサンガ、ヴァスバンドゥという名のガンダーラの高僧です。

 

運慶はこの顔をどうやって日本人の顔に作り上げたのか?その想像力に脱帽です。

 

仏教の根底にある思想に「空思想」がありますが、そのニヒリズム性を脱し「心」を深化させた「唯識思想」も仏教の根底にある思想のようです。

 

現代の「争いの世界からの脱却」には「唯識の思想」が必要と言われています。

唯識思想は過去の思想ではなく現代に通ずる思想のように思えます。

この像のおだやかな佇まいは、なんと静寂なのでしょうか?

 

 

も一つ国宝の毘沙門天も感服しました。運慶の他の天部の像より飛びぬけた精神性を感じました。