なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

手賀沼公園のボートの陰で遊んでいるコブハクチョウの親子

今年も手賀沼公園のコブハクチョウ夫婦に子供が生まれました。

まだまだ小さいのでお父さんとお母さんは一緒に子供たちを育てています。

お父さんは、あたりを警戒し、お母さんは子供の世話をしているようです。

子供たちは、両親に守られながら、すくすく育っています。



この親子は楽しそうにしていますが、人的被害や捕食などで育てられない白鳥の親もあるため、「悲しい白鳥の母親の愛」を詠った人道派詩人、千家元麿の詩集『自分は見た』より「白鳥の悲しみ」を写真の後に掲載します。(青空文庫より引用)



以下の写真は、SIGMA 高倍率ズームレンズ Contemporary 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO OS HSM をCanon EOS 7D Mark II に装着し手持ち撮影しました。







白鳥の悲しみ    千家元麿


美しく晴れた日、
動物園の雜鳥の大きな金網の中へ
園丁が忍び入り、
白鳥の大きな白い玉子を二つ奪つて戸口から出ようとする時
氣がついた白鳥の母は細長い首を延して朱色の嘴で
園丁の黒い靴をねらつてついて行つた。
卑しい園丁は玉子を洋服のポケツトに入れて
どん/\行つてしまつた。
白鳥の母は玉子の置いてあつた木の堂へ默つて引返へし
それから入口に出て來て立止つて悲しい聲で鳴いた。
二三羽の白鳥がそれの側へ首を延ばして近寄り
彼女をとりまいて慰めた。
白鳥の母は悲しく大きな聲で二つ三つ泣いた。
大粒な涙がこぼれる樣に
滑らかな純白な張り切つた圓い胸は
内部から一杯に搖れ動き、
血が溢れ出はしまいかと思はれる程
動悸を打つて悶えるのが外からあり/\見えた。
啼かなくなつてもその胸は痙攣を起して居た。
その悲しみは深くその失望は長くつゞいた。
然しやがて白鳥の母は水の中へ躍り込んだ。
然うして涙を洗ふやうに、悲しみを紛らすやうに
その純白の胸も首も水の中へひたし、水煙をあげて悶えた。
然しそれはとり亂したやうには見えなかつた。
然うして晴々した日の中で悲しみを空に發散した。

その單純な悲しみは美くしく痛切で偉大な感じがした。
その滑かな純白の胸のふくらみのゆれ動くのは實に立派であつた。
まことにあんな美くしいものを見た事はない氣がした。
威嚴のある感じがした。
金網の周圍には多くの女や吾れ/\が立つて見てゐた。
自分達は均しく感動した。
自分はその悲しみを見るのが白鳥にすまない氣がした。
吾々の誤つてゐる事を卑しめられた
白鳥に知らしてやれないのを悲しく思つた。
自分はその悲しみを早く忘れてくれるやうに願つた。