なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

真っ赤なニシキギ

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  上の写真はキヤノンの一眼レフEOS7DmarkⅡにCANON EF70-200mm F4L IS USMを装着して手持ち撮影しました。

我が家のニシキギは、ますます赤みが、増してきました。

「錦木の実もその辺も真赤かな」 高浜虚子

 

昔、奥州では、恋しい女の家の前には男が錦木の束を立てかける風習があったと言われています。女は承諾すると束を家に入れ、不承諾なら放置しましたが、男はたとえ駄目でも干し束を積んだと言います。


西行法師に次の歌があります。


立てそめてかへる心はにしき木の干束待つべき心地こそすれ

参考 陸奥の錦木のお話/

昔々、政子姫というたいへん美しい娘がおりました。
錦木を売っている黒沢万寿という若者が、政子姫に恋をしました。
若者は、錦木を姫の家の門に1束立てました。


この土地(秋田県鹿角市)では、求婚の為に女性の住む家の門に錦木を立て、
女性がそれを受け取ると、男の思いがかなった印になります。


万寿は来る日も来る日も錦木を立てて、3年3か月ほどたったところ、
錦木は千束にもなりました。


姫は子供を掠う大鷲を追い払う布を織っていましたが、やっと出来上がり、
万寿の思いを受け止め、万寿の立てた錦木を取り入れようとしたら、
父親が「ならぬ!ならぬ!」と反対し禁じられてしまいました。


万寿は落胆の余り死んでしまい、
政子姫も後を追うように死んでしまいました。
反対した父親は、後悔し二人を千束の錦木と共に葬りました。
これを人は「錦木塚・錦塚」と言います。