なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

手賀沼の枯れ木にとまるモズ

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    上の写真はキヤノンの一眼レフEOS7DmarkⅡにCANON EF100-400mgm F4.5-5.6L IS II USMを装着して手持ち撮影しました。

12月6日午後、手賀沼の土手から見える枯れ木にモズが止まりました。高所から、獲物を狙っているようです。

モズが、とても気高そうに見えました。

実はモズには古くからの伝承があるようです。

古事記」に、大雀命(おほささぎのみこと)が崩御され、毛受之耳原(もずのみみはら)にその陵墓があるとの記載があり、(注:「おおささぎ」とは巨大な陵墓を意味しますが、大雀の当て字は「もず」の事だそうです)

日本書紀」には、仁徳天皇仁徳天皇87年(西暦399年)正月に崩御され、同年10月、百舌鳥野陵(もずののみささぎ)に葬(ほうむ)られたと記載されています。

つまり「仁徳天皇陵」は、正式名称を「百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)」というそうです。

「百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)」という言葉は、平安時代の法令集である「延喜式(えんぎしき)」に登場し、それが仁徳天皇の御陵(みささぎ)であることと、場所と大きさが記述されているそうです。

その伝承は「ある日、突然鹿が飛び出してきて倒れて死んでしまった。鹿の耳から百舌鳥(もず)が飛び出し、調べると、鹿の頭の中身がなくなっていた」というものです。

上代において、死者の魂は鳥になって飛び去り、あるいは丹塗りの船に乗って海の彼方へ行き、または坂を越えて黄泉国(よみ)に行くと信じられていて「百舌鳥耳原中(もずのみみはらのなか)」は、「神の使いとされた鹿(仁徳天皇)の魂が百舌鳥(もず)となって飛び去った」「その大君が開拓された百舌鳥(平野)の盛り土(耳原)の中」と言う意味になり、古来からの伝承が、このようにして、地名に込められたとのことです。

 

やはりモズは、ただ者ではないのでしょうね‼️

 

また、世界遺産の百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)は、大阪府堺市にある古墳群で半壊状態のものも含めて44基の古墳があるそうです。このうち19基が国の史跡に指定されているほか、これとは別に宮内庁によって3基が天皇陵に、2基が陵墓参考地に、18基が陵墓陪冢に治定されています。

 四方の峰曇りて薄輝かぬ野なかの樺に百舌鳥のゐて啼く   若山牧水