なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

青空とシジュウカラ

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  上の写真は、EOS7Dマーク2にCANON EF70-300mm F4.5-5.6 DO IS USMを装着して、手持ち撮影しました。

 

2月23日お昼頃、あけぼの山公園のシジュウカラです。

 

シジュウカラと青空を見ていると道元禅師著作正法眼蔵」仏性の巻の「一切が衆生なり、悉有が仏性なり」衆生が悉有(全宇宙・全存在)であり、その全宇宙こそ「仏性」であるという言葉を思い出しました。

私たちは仏性の中で呼吸し、仏性の中で生活しています。

このような考えは、仏こそ万物を生かしている命であり、山川草木全てがそのまま仏の命のあらわれであると言う世界観となります。

 

今日は、そんな世界観を感じさせる尾崎喜八シジュウカラの詩を鑑賞しましょう。

 

 四十雀 尾崎喜八詩集「空と樹木」より

 

 秋の透明な空気に乗って
 どこから飛んで来たのか一羽の四十雀
 それが窓の前の
 昼過ぎの日光に照らされた枝に来て囀っている。
 チーチーチー・チーチーチーチク・チー、
 チーチー、チュクチュクチュク。

 頭の黒い、頬の白い、
 綺麗な、ほっそりした、可憐な小鳥。
 大人か子供か、雄か雌か、
 それは解らないが清らかな声で、
 ちいさい嘴をできるだけあけて、
 豊麗な景色の前景で囀っている。
 とても無関心ではすまされないその声とその姿。
 こんな広大な空間に、
 こんな小さなからだを托して、
 屈託もなければ疑念もなく、
 自由に、のびのびと歌っている。
 その形、その声の申しぶんもない完全さ。
 この世の自然はこういう完全なものでうずまっているのだ。
 だから心をきれいに持って
 こういう恵みを悦び享けよう、
 苦情を言うのはこっちが悪い。
 チーチーチー、チーチクチー。
 四十雀はきらきら光って飛んでいった、
 むこうの森へ
 横から流れる洪水のような日光を渡って―― 

 やがて遠くから彼の歌がきこえて来た。
 空はまっさおで、
 春のような軟かな雲がいくつもいくつも浮かんでいる。