なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

バラが咲いた

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上の写真は、Ymobileスマホのエクスペディア8で撮影しました。

8月25日我が家のバラが咲きました。
3っつの蕾のうちの2つです。
真夏の暑さに負けないで咲きました。

喫茶去

空から見た大山古墳

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8月25日の読売新聞夕刊の写真をスマホで撮影。

こんな小さな日本に世界に誇るお墓があるとは、驚きます。

世界3大墳墓の1つだそうです。

他の2つの墳墓の王朝は、すでに絶えていますが我が国の王朝は天皇家として存続しているようです。

これは稀有なことで誇らしい古代ロマンを感じます。

私達は凄い国に生まれているのです。

以下の説明は、ネットの記事から作成しました。


仁徳天皇陵古墳

クフ王ピラミッド、始皇帝陵と並ぶ世界3大墳墓、5世紀中ごろ築造とされ全長約486mの日本最大の前方後円墳。百舌鳥耳原三陵の一つで、墳丘は3段に築成され三重の濠がめぐり10基以上の陪塚があります。

エジプトのクフ王のピラミッド、中国の秦の始皇帝陵と並ぶ世界3大墳墓の一つといわれ、上空から見ると円と四角を合体させた前方後円墳という日本独自の形で、5世紀中ごろに約20年をかけて築造されたと推定されています。日本最大の前方後円墳で北側の反正天皇陵古墳(田出井山古墳)、南側の履中天皇陵古墳(石津ヶ丘古墳)とともに百舌鳥耳原三陵と呼ばれ、現在はその中陵・仁徳天皇陵として宮内庁が管理しています。前方部を南に向けた墳丘は全長約486m、後円部径約249m、高さ約34.8m、前方部幅約307m、高さ約33.9mの規模で3段に築成されています。左右のくびれ部に造出しがあり、三重の濠がめぐっていますが、現在の外濠は明治時代に掘り直されたものです。葺石と埴輪があり埴輪には人物(女子頭部)や水鳥、馬、鹿、家などが出土しています。
昭和30年代と最近の調査で造出しから須恵器の甕が出土し、古墳が造られた年代を知る資料として話題になっています。明治5年(1872年)には、前方部で竪穴式石室に収めた長持形石棺が露出し、刀剣・甲冑・ガラス製の壺と皿が出土しました。出土品は再び埋め戻されたといわれていますが、詳細な絵図の記録があり、甲冑は金銅製の立派なものだったようです。
日本最大の前方後円墳にふさわしく、周囲に陪塚と考えられる古墳が10基以上あります。仁徳天皇陵とされていますが、日本書紀などに伝えられる仁徳・履中の在位順とは逆に、履中天皇陵古墳よりも後で築造されたことがわかっています。
考古学上は仁徳天皇の陵であるとすることに否定的な見解が唱えられているが、築造時期が5世紀前半~中頃との見方が確定することによって、むしろ文献史学上で想定される仁徳天皇の活動時期に近づくとする見解もある。ただし、宮内庁が調査のための発掘を認めていない現状において、学術上ここが仁徳天皇陵であると確定することは不可能となっていることから、現在では、教科書などを含めて「大仙陵古墳」とされており、「仁徳天皇陵」は注記に「伝仁徳陵」となるに留まっている。

所在地

堺市堺区大仙町
JR阪和線百舌鳥駅」下車 徒歩8分

大仙公園仁徳御陵



喫茶去

フルトヴェングラー
ラニアのエロイカ
を聴く

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ベートーヴェン交響曲第3番変ホ長調、作品55「英雄」
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮・ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1944年12月19日、ウィーン、ムジークフェライン・ザール

ラニアのエロイカ

1953年、米ウラニア社から発売され、フルトヴェングラー自身の訴えによって一時発売が中止され、幻と化した、あまりにも有名な“ウラニアのエロイカ”です。

この録音はその後数多くのレーベルからLP、CDとなって発売され、今もなお「英雄」の最高の演奏とされているものです。

このCDもその中の1つdelta classicsレーベルの英雄です。

ずいぶん聴きやすくなっています。

戦中のライブなので、最初の出だしから異様な緊張感があります。

数ある、フルトヴェングラーの英雄の中でも特異な演奏です。

この時限りの一期一会のすライブです。

凄い緊張感のある凄みのある英雄でした。