上の写真は、一眼レフキヤノンEOS7DマークⅡにCANON EF200mm F2.8L USMを装着し手持ち撮影しました。
1月31日中沼田の電線にチョウゲンボウがとまって、下の獲物を探していました。
近づいてみると、逃げられてしまいました。
チョウゲンボウは、関東地方では、季節を問わず平野部の上空を舞う姿がよく観察されます。
ハヤブサと異なり、飛翔中の小型の野鳥を襲うことはないようで、もっぱら、平野部のカヤネズミ、ミミズ等の小動物や、昆虫を捕食しているようです。
チョウゲンボウは、冬の季語。チョウゲンボウやノスリのように、人の耕す田畑に生息するタカを、馬糞鷹と呼ぶ地域もかつてはあったようです。
観音の
鳩にとくなれ
馬糞鷹
参考
鷹化して鳩となる
中国の「呂氏春秋」という本の中に「鷹化為鳩」という言葉があります。幻想的な春の気分を表す言葉で早くから歳時記に登場しています。
「春のおだやかな気に影響されて」鷹が鳩に姿を変えるという。
「呂氏春秋(りょし しゅんじゅう)」「礼記(らい き)」にある言葉とのことです。
喫茶去
空の思想史(くうのしそうし)
を読む
内容紹介
一切は空である。神も世界も私すらも実在しない。インド仏教がその核心として生んだ「空の思想」は絶対の否定の果てに、一切の聖なる甦りを目指す。やがてこの全否定の思考は、チベット・中国・日本への仏教東漸の中で、「世界を生みだす無」「真理としての空」という肯定色を強めていく。アジアで花開いたラディカリズムの深い変容を追う二千年史。
一切は空である。神も世界も私すらも実在しない。
インド仏教がその核心として生んだ「空の思想」は絶対の否定の果てに、一切の聖なる甦りを目指す。
やがてこの全否定の思考は、チベット・中国・日本への仏教東漸の中で、「世界を生みだす無」「真理としての空」という肯定色を強めていく。
アジアで花開いたラディカリズムの深い変容を追う二千年史。
とても楽しく読めました。この本は、何度も読み直して読むたびに発見があります。
今回印象に残ったのは、
色即是空 空即是色
(しきそくぜくう くうそくぜしき)
が、
俗から聖へ 聖から俗へと昇華され、曼荼羅(まんだら)は、聖から見た俗の姿であり世界観であるという説は、参考になりました。
インド仏教史、中国、日本の仏教史の概観も面白く読ませていただきました。
この本とは無関係ですが、日本の昔の世捨て人には、以下のような、ユーモラスな側面もあったようです。
何せうぞ くすんで
一期(いちご)は夢よ ただ狂え!
(閑吟集)
意訳
何になるだろう
真面目くさってみたところで
しょせん、一生は夢だ。
ただ、狂えばいい。
注:
室町時代の刹那的な雰囲気がよく現れています。現代の刹那的雰囲気も昔からあったのかもしれません。