なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

電線のチョウゲンボウ

f:id:digibirds:20210131154651j:image
f:id:digibirds:20210131154930j:image
f:id:digibirds:20210131155022j:image
f:id:digibirds:20210131161131j:image

上の写真は、一眼レフキヤノンEOS7DマークⅡにCANON EF200mm F2.8L USMを装着し手持ち撮影しました。

1月31日中沼田の電線にチョウゲンボウがとまって、下の獲物を探していました。

近づいてみると、逃げられてしまいました。

 

チョウゲンボウは、関東地方では、季節を問わず平野部の上空を舞う姿がよく観察されます。

ハヤブサと異なり、飛翔中の小型の野鳥を襲うことはないようで、もっぱら、平野部のカヤネズミ、ミミズ等の小動物や、昆虫を捕食しているようです。

チョウゲンボウは、冬の季語。チョウゲンボウノスリのように、人の耕す田畑に生息するタカを、馬糞鷹と呼ぶ地域もかつてはあったようです。

 

観音の

   鳩にとくなれ

         馬糞鷹

 

       小林一茶

参考

鷹化して鳩となる

 

中国の「呂氏春秋」という本の中に「鷹化為鳩」という言葉があります。幻想的な春の気分を表す言葉で早くから歳時記に登場しています。

「春のおだやかな気に影響されて」鷹が鳩に姿を変えるという。

呂氏春秋(りょし しゅんじゅう)」「礼記(らい き)」にある言葉とのことです。

 

喫茶去

空の思想史(くうのしそうし)

を読む


f:id:digibirds:20210201035112j:image

立川武蔵
 空の思想史
 講談社学術文庫 2003

 

内容紹介
一切は空である。神も世界も私すらも実在しない。インド仏教がその核心として生んだ「空の思想」は絶対の否定の果てに、一切の聖なる甦りを目指す。やがてこの全否定の思考は、チベット・中国・日本への仏教東漸の中で、「世界を生みだす無」「真理としての空」という肯定色を強めていく。アジアで花開いたラディカリズムの深い変容を追う二千年史。


一切は空である。神も世界も私すらも実在しない。
インド仏教がその核心として生んだ「空の思想」は絶対の否定の果てに、一切の聖なる甦りを目指す。
やがてこの全否定の思考は、チベット・中国・日本への仏教東漸の中で、「世界を生みだす無」「真理としての空」という肯定色を強めていく。
アジアで花開いたラディカリズムの深い変容を追う二千年史。

 

とても楽しく読めました。この本は、何度も読み直して読むたびに発見があります。

 

今回印象に残ったのは、

 

色即是空 空即是色

(しきそくぜくう くうそくぜしき)

が、

俗から聖へ 聖から俗へと昇華され、曼荼羅(まんだら)は、聖から見た俗の姿であり世界観であるという説は、参考になりました。

インド仏教史、中国、日本の仏教史の概観も面白く読ませていただきました。

 

この本とは無関係ですが、日本の昔の世捨て人には、以下のような、ユーモラスな側面もあったようです。

                 
何せうぞ くすんで

一期(いちご)は夢よ  ただ狂え!

        (閑吟集)

意訳

 

何になるだろう
真面目くさってみたところで
しょせん、一生は夢だ。

ただ、狂えばいい。

注:

室町時代の刹那的な雰囲気がよく現れています。現代の刹那的雰囲気も昔からあったのかもしれません。