上の写真は、一眼レフキヤノンEOS7DマークⅡにCANON EF200mm F2.8L USMを装着し手持ち撮影しました。
2月6日午後の坂田が池脇の梅林の紅梅です。
花が、咲き始めました。
『 梅の花 うす紅に ひろがりし その中心にて もの栄ゆるらし 』
意味:梅の花のうす紅色が広がっているのはその中心で、ものが栄えているかのようだ。
暖かい日差しを浴びて、梅林にいますと令和の御代も
健やかで、繁栄されんこと
を願うばかりです。
喫茶去
悟りは、何処にあるのか?
弘法大師 空海は、「般若心経秘鍵はんにゃしんぎょうひけん」という密教独自の般若心経の解説書を書いています。
答えはそこに書かれています。
弘法大師の言葉にふれて見ましょう。
般若心経秘鍵の冒頭二段目(大綱序)のはじめに有名な言葉があります。
——それ仏法遙かにあらず、心中しんじゅうにして即ち近し。真如ほかにあらず、身をすてて何いずくんか求めん。迷悟我れに在れば、(則ち)発心すれば即ち到る。明暗みょうあんほかにあらざれば、信修しんしゅすればたちまちに証す。哀れなるかな、哀れなるかな、長眠じょうめんの子し。苦しいかな、痛ましいかな、狂酔きょうすいの人にん。痛酔は酔えわざるを笑い、酷睡こくすいは覚者かくしゃを嘲あざける——
「そもそも仏の教え(さとりの世界)は、遙か彼方にあるのではありません。私たちの心の中にあって、まことに近いところにあります。仏の悟りである真如は、私たちの外部にあるのでもありません。
だから、我が身を捨ててどこにそれを求めることができるのでしょうか。
本来迷いとか悟りとかは、自分自身の内部にあるのだから、悟りを求めようとする心をおこせば、ただちに悟りに到達できるのです。
従って、明るい悟りの世界、暗い迷いの世界も、自分をおいて他にないのであって、仏の教えを信じ実行すれば、悟りの世界は、たちまちに私たちの眼前に開けてくるのです。
ああ、哀れなるかな、哀れなるかな、真実の世界を知らずに眠れる者よ。ああ、苦しいかな、痛ましいかな、無明、煩悩に狂い、酔いしれている者よ。はなはだしく酔える者は、かえって酔わない者を笑い、はなはだしく迷いの眠りにあるものは、かえって目覚めた者を嘲っているのです。」
悟りは、私達の心の中にあるようです。
自己に目覚めれば、それが悟りなのです。
喫茶去
ピアノ協奏曲を聴く
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番 / ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」 ホロヴィッツ(P) トスカニーニ / NBCso. ライナー / RCAビクターso.
1943年録音のチャイコフスキーはライヴ録音。ホロヴィッツのピアノは例によってひらめきのあるもの。「皇帝」はホロヴィッツが弾いた唯一のベートーヴェンの協奏曲で、頭から独特の輝かしい音色が聴ける。第2楽章も美しい。ユニークな名演奏だ。
ディスク情報
原題:TCHAIKOVSKY: CONCERTO NO.1|BEETHOVEN: CONCERTO NO.5 "EMPEROR"
チャイコフスキー:
01ピアノ協奏曲第1番変ロ短調op.23
ベートーヴェン:
02ピアノ協奏曲第5番変ホ長調op.73「皇帝」
演奏
ウラディミール・ホロヴィッツ(P) (1)アルトゥーロ・トスカニーニ指揮 NBC交響楽団 (2)フリッツ・ライナー指揮 RCAビクター交響楽団
録音
(1)1943.4 (2)52.4
RCAビクター交響楽団
プロフィール
米・ニューヨークを本拠とするRCAレコードの録音用オーケストラ。レコード会社のRCAビクターによる録音用オーケストラ、RCAビクター管弦楽団が1943年に停止したのを受けて、新たにニューヨークでRCAビクター交響楽団として編成。ニューヨーク・フィル、メトロポリタン歌劇場管、シティー・センター、NBC響などからの選抜メンバーによる編成と言われる。ニューヨーク・フィルの変名とも。その後はフリッツ・ライナーが事実上の音楽監督となった編成が著名で、ウラディミール・ホロヴィッツのピアノによるベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」やラフマニノフのピアノ協奏曲第3番などの録音がある。ライナーとは別組織の臨時編成も存在。
何度聴いても、素晴らしい演奏です。
トスカニーニ盤は、名演として名高いですが、ライナー盤も見事な演奏です。
ホロヴィッツの歴史的録音と言えます。