なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

八ヶ岳山麓のウソ♀

畑のそばのあぜ道の草叢(くさむら)から、フィ、フィと鳴き声がきこえます。少し太った鳥です、近付いてみましたが、あまり、逃げません。夢中に、草の実を食べています。ウソのメスです。草の茎(くき)を引っ張って、小さな美味(おい)しくなさそうな、白い実を、食べています。食べると、近くの別の草に飛び移って、また、食べます。
その場所は、日陰の寒い場所です。寒いので羽毛の間に空気を入れて膨(ふく)らんで暖かくしているようです。ただでさえ、ウソは、少し太り気味(ぎみ)なので、寒いと余計(よけい)に太ってみえます。
お腹(なか)がいっぱいになったのか、遠くに飛んでゆきました。







閑話休題  樋口一葉作「大つごもり」

今日から12月、師走(しわす)です。そこで、最近観た、抒情的な日本映画「にごりえ」の中の「大(おお)つごもり」をとりあげてみます。

今週の月曜日から金曜日までに連続で、日本映画専門チャンネルで、映画「にごりえ」が放映されました。この作品は、1953年製作の今井正監督作品で、樋口一葉の短編小説「十三夜(じゅうさんや)」「大(おお)つごもり」「にごりえ」をオムニバス形式で映画化したものです。1953年度キネマ旬報ベスト・テンの第1位に選出された作品です。この年は、日本映画の当たり年と言われていて、小津安二郎東京物語」、溝口健二雨月物語」などの名作が出ています。これらの作品をおさえて1位になった作品だけに、明治の市井(しせい)に生きる虐(しいた)げられた、女性たちの姿を、美しく、緻密(ちみつ)な演出で描いています。

「大つごもり」は、大晦日(おおみそか)のことです。

あらすじ(一葉の原作はとても美しい雅俗折衷(がぞくせっちゅう)の文体で書かれていますが、ここではWikipediaの「にごりえ」の「大つごもり」から、口語体の「あらすじ」を引用します。)

「18歳のお峰が山村家の奉公人となってしばらくした後、お暇がもらえたため、初音町にある伯父の家へ帰宅する。そこで病気の伯父から、高利貸しから借りた10円の期限が迫っているのでおどり(期間延長のための金銭)を払うことを頼まれ、山村家から借りる約束をする。

総領である石之助が帰ってくるが、石之助とご新造は仲が悪いため、機嫌が悪くなり、お峰はお金を借りる事ができなかった。そのため、大晦日に仕方なく引き出しから1円札2枚を盗んでしまう。

その後、大勘定(大晦日の有り金を全て封印すること)のために、お峰が2円を盗んだことが露見しそうになる。お峰は伯父に罪をかぶせないがために、もし伯父の罪にとなったら自殺をする決心をした。ところが、残った札束ごと石之助が盗っていたのであった。」


この作品は、優れた抒情的ミステリー作品のようです。お峰の罪が、成り行きで、放蕩息子(ほうとうむすこ)の石之助の罪となったのか?そうではなくて、 石之助はすべてを知って、みずから罪をかぶったのか?。一葉は、「この後、二人がどうなったかを知りたいものである。」と結んでいます。余韻(よいん)を残す素晴らしいラストですねぇ。

この作品を発表した樋口一葉(ひぐちいちよう)は二十二歳。一葉は二十四歳で肺結核で亡くなっています。この主人公のお峰は、貧しかった作者の分身かもしれません。樋口一葉は、うら若き年頃なのに、貧しさの悲惨(ひさん)さとその苦労を見事に描いています。一葉自身も父親が破産(はさん)したので、戸主(こしゅ)として生活を支(ささ)えていて、自分の貧困の経験からリアルに描くことができたのでしょう。

明治時代は、現代と比較して、貧富の格差がとても大きく、弱い立場の人間は、それに甘んじて、忍ぶ姿が、とても印象的です。

映画の中の主人公の「お峰」を演ずる久我美子(くがよしこ)は、下女の役でありながら、さすがに、華族(かぞく)出身の女優らしく、凛(りん)とした美しさがあり、仲谷昇(なかやのぼる)の放蕩息子の石之助の演技も見事なものです。

この時代の日本語は、品のある綺麗な日本語で、今の日本語とは、相当な差を感じます。貧しくても、心の豊かさを、感じさせます。物質的に恵まれた現代が、失った、大切な日本語を、この古いモノクロ映画で、再認識した次第です。