なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

谷津干潟のメダイチドリ

干潟の水際にメダイチドリがチョコ、チョコ歩いています。春の渡りの途中で日本を訪れてオレンジ色の夏羽を見せてくれます。ゴカイや甲殻類を食べているようです。時々立ち止まり、片足で地面をたたいて獲物を追い出したりしています。



閑話休題ー 而今(にこん) ただいま、その時 −


4月18日、中日ドラゴンズ岩瀬仁紀投手が、神宮球場で行われたヤクルト6回戦で前人未到の通算350セーブを達成しました。

お立ち台に上がった岩瀬投手は「昨日失敗したので、今日は絶対に失敗できないと思ってマウンドに上がった。一つ一つの積み重ねなので、これからも伸ばしていきたい。」「次の目標は?」と問われると「351ですね。」と語りました。普通は、きりのいい「400ですね。」と言うところでしょうが・・・。

私は、岩瀬選手の言葉に感動しました。大記録を作る人は、一日一日を大事に生きていると感じたからです。

その時、昔からの箴言(しんげん)を3つ思い出しました。

ひとつは中国の儒教経書四書五経(ししょごきょう)の「大学」に書かれている「まことに日にあらたなり」という言葉です。

「湯之盤銘曰、苟日新、日日新、又日新」  (大学・伝二章)

(読み下し文)
   湯(とう)の盤(ばん)の銘(めい)に曰(いわ)く、
   苟(まこと)に日に新たなり 日日に新たに、また日に新たなり。

「湯」とは、殷(いん)王朝を創始した湯王(とうおう)のことです。伝説的、聖天子としてよく知られた王様です。その王様は、洗面の器(盤)に「苟日新 日日新 又日新」の九文字を刻みつけて、毎日、顔を洗うたびに、それを見ながら、覚悟を新たにしたのだという故事からきた言葉です。

もう一つは

『積小為大』(せきしょういだい)という二宮金次郎(尊徳)さんの教えです。

「大事をなさむと欲せば  小なる事を  怠らず勤むべし
 小積もりて大となればなり およそ小人の常  大なることを欲して  
 小なることを怠り  出来難き事を憂いて、出来易く事を勤めず
 それゆえ終に大なる事をなすことを能わず それ大は小の積んで
 大となる事を知らぬ故なり」

                 (二宮尊徳著「報徳記」)

意訳を以下に示します。

「大事を為(な)そうと考えたら、小さな事を怠らず励まなければなりません。
ところが小人はいつも、大きな事を望んで、小さい事を怠(おこた)ってしまいます。
出来(でき)もしないことにくよくよして、誰でもできる事をおろそかにしてしまいます。
それだから、いつまでたっても大きな事が出来ないのです。
これは大は小が積み重なって大となるのだということを知らないからです。
小さい事を一生懸命でやれば、どんな大きな事でもきっと成就(じょうじゅ)するものです。」

蛇足(だそく)ですが、小学校などに多く建てられた、「二宮尊徳像」の、薪(まき)を背負いながら本を読んでいる、その本は、「大学」です。「途中歩みなから是(これ)を誦し、少も怠らず」と言われています。


もう一つは、道元禅師(どうげんぜんじ)の「而今(にこん)」という言葉です。
  
この言葉は、難(むずか)しいので、彼の従者で、永平寺2世をつとめた、孤雲懐奘(こうんえじょう)の聞き書きとして名高い「正法眼蔵随聞記(しょうぼうげんぞうずいもんき)」の記述より説明していきます。

「学道(がくどう)の人は、後日(ごじつ)を待って行道(ぎょうどう)せんと思ふことなかれ。只(ただ)、今日今時(こんにちこんじ)を過ごさずして、日日時時(ひびときどき)を勤(つと)むべき也。」
                      (正法眼蔵随聞記)

その意味は、「「仏道(ぶつどう)を学ぶ人は、後日に修行しょう。」
などと考えてはいけません、今日、この時をぼんやりと過ごさず、
その日、その日を、その時、 その時を、勤めなければなりません。」

と言っています。

また、禅師の主著の「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」にすこし難(むずか)しいですがこのような記述があります。

「上山の時は有時(うじ)の而今(にこん)なり。時もし去来の相を保任せば、
  われに有時の而今ある、これ有時なり」(「有時」の巻)

而今の山水(さんすい)は、古佛(こぶつ)の道現成(どうげんじょう)なり。ともに方位に住して、究盡(ぐうじん)の功徳(くどく)を成(じょう)ぜり」(「山水経」の巻)

その而今とは(にこん)と読み、単にいわゆる「今」ではなくて、無限の過去から現在に到る今であり、永遠の未来をひっくるめた今を言っているのです。つまり、新たな展開の予兆(よちょう)を孕(はら)んでいる存在の「今、その時」が大切なのです。

こんなにたくさんの箴言(しんげん)があるのに、いつもその大事さを忘れて、実行できないのが凡人(ぼんじん)の私たちですね。

私も、時々、この箴言を思い出して、「毎日を大事に生きていきたい。」と願っています。