なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

満開のしゃくなげ

我孫子駅南口の街路(がいろ)の同じ植え込みの中に、多くの「つつじ」と、多くの「石楠花(しゃくなげ)」が植えてあります。

毎年この時期に花を咲かせるのですが、今年は、少し早いようです。今、どちらも満開で、通行人の目を和(なご)ませています。



閑話休題ー絶世(ぜっせい)の美女について


「しゃくなげ」は、「花の女王」といわれているそうですが、名前が似ている「しゃくやく(芍薬)」も美しい花として知られています。

昔から美しい女性のことを、「立てば芍薬(しゃくやく)、座(すわ)れば牡丹(ぼたん)、歩く姿は百合(ゆり)の花」とたとえられています。

世界の三大美人は、クレオパトラ楊貴妃(ようきひ)、小野小町(おののこまち)の3人と日本ではいわれています。

また、中国の歴史上の三大美人は、西施(せいし)、虞美人(ぐびじん)、楊貴妃(ようきひ)だそうです。

小野小町は、あまりに我田引水(がでんいんすい)なので、世界の3大美人ではなくて、中国の3大美人についての雑感を書いてみます。

西施(せいし)は、臥薪嘗胆(がしんしょうたん)の故事に出てくる美女ですね。

呉王夫差(ごおうふさ)を骨抜きにするために、越王勾践(えつおうこうせん)が送り込んだ美女の一人です。呉王は、西施を寵愛(ちょうあい)して、越の復讐(ふくしゅう)の魂胆(こんたん)を見抜けなかったので、呉の国は、滅んでしまいます。典型的な「傾国(けいこく)の美女」です。

日本でもこの故事は、当時の我が国の知識人には、よく知られていたようで、「太平記(たいへいき)」に児島高徳(こじまたかのり)が、桜の木に漢詩を彫るという逸話(いつわ)がでてきます。

後醍醐天皇(ごだいごてんのう)は、元弘(げんこう)の乱に敗れ、隠岐(おき)へ遠流(おんる)となりました。児島高徳は、その護送の途中の天皇宿舎に侵入しますが、厳重な警護の前に、天皇の奪還(だっかん)を断念(だんねん)し、傍(かたわら)にあった桜の木へ

「天莫空勾践 時非無范蠡」(天勾践(てんこうせん)空(むな)しうすることなかれ、時に范蠡(はんれい)無きにしもあらず)と漢詩を彫り込みました。

大意は「天は、越王勾践に味方したように、決して帝(みかど)をお見捨てにはなりません。きっと范蠡(はんれい)のような忠臣(ちゅうしん)が現れて、必ずや帝(みかど)をお助けする事でしょう」

朝になってこの桜の木に彫られた漢詩を発見した兵士は何と書いてあるのかチンプンカンプンです。仔細(しさい)を聞いた後醍醐天皇だけが、この漢詩の意味が理解できたといっています。

後に、この言葉どうり後醍醐天皇の親政(しんせい)が実現します。これは、「建武(けんむ)の中興(ちゅうこう)」としてよく知られています。


また、虞美人(ぐびじん)は、項羽(こうう)の愛人で、四面楚歌(しめんそか)の故事に出てくる美女ですね。項羽が絶望して、詠(よ)んだ「垓下(がいか)の歌」で有名です。
                 垓下の歌

力拔山兮氣蓋世 力山(ちから、やま)を拔(ぬ)き氣(き)は世をおお)ふ
時不利兮騅不逝 時に利あらず 騅逝(すいゆ)かず
騅不逝兮可奈何 騅の逝(い)かざるを 奈何(いかが)すべきか
虞兮虞兮奈若何 虞や虞や 若(なんじ)を奈何(いかん)せん

大意は、山を抜くような力と世をおおいつくす気概をもっている私でも、時運は私に味方してくれないのか、名馬である騅(すい)も、進もうとはしない。騅の進もうとしないのを どうしたらよいのだろうか。愛する虞よ、虞よ、おまえをどうしたらいいんだろう。

虞美人は、いさぎよく、自決してしまいます。その自決の跡地(あとち)に咲いた、ヒナゲシの花を後世(こうせい)の人は、「虞美人草(ぐびじんそう)」と呼びました。運命の薄幸さが人びとの同情をよんだのでしょうね。


楊貴妃(ようきひ)は、中国の唐の時代の玄宗皇帝(げんそうこうてい)の寵妃(ちょうひ)で、安史(あんし)の乱で、自決した「傾国の美女」ですね。

楊貴妃には、中国唐の詩人、白居易(はくきょい)によって作られた長編の漢詩長恨歌(ちょうごんか)」があります。この漢詩は、唐代の玄宗皇帝と楊貴妃のエピソードを歌い、平安時代以降の日本文学にも多大な 影響を与えたようです。

白居易の文章は、日本には、「白氏文集(はくしもんじゅう)」として、平安時代に伝えられました。当時の平安貴族たちに大変な人気で、王朝物語に強く影響しただけでなく、和歌・漢詩の題材にも頻繁にとりあげられました。後世になっても、日本文学のほぼ全域でとりあげられています。

長恨歌」は、長すぎるので、ここでは、枕草子の第二百九十九段にでてくる白居易の「香炉峰(こうろほう)の雪」について書いてみます。

「雪のいと高う降りたるを、例ならず御格子(みこうし)まいりて、炭櫃(すびつ)に火おこして、物語などして集まりさぶらふに、「少納言よ、香炉峰(こうろほう)の雪 いかならむ。」と仰せらるれば、御格子上げさせて、御簾(みす)を高く上げたれば、笑はせたまふ。
 人々も、「さることは知り、歌などにさへうたへど、思ひこそよらざりつれ。なほ、この宮の人には、さべきなめり。」と言ふ。」

雪がとても深く降り積もっているのを、いつになく 御格子を降ろして炭櫃に火をおこして、世間話などし て、私たちが集まって控えていると、中宮様 が「少納言よ、香炉峰の雪はどんなでしょうね」とおっしゃったので、御格子を あげさせて、御簾を高く巻き上げたところ、中宮様はにっこりとお笑いになる。一人の女官が、「そういうことは誰でも知っているし、歌などにも詠むけれども、とっさには思いつきもしませんでした。」もう一人の女官も「やはりあなたは、中宮様にお仕えする女房としては、ふさわしい方なのでしょう」 と言う。

この段の元ネタは、以下の通りです。


      「香爐峰下新卜山居草堂初成偶題東壁」   白居易

       日高睡足猶慵起 小閣重衾不怕寒
       遺愛寺鐘欹枕聴 香炉峰雪撥簾看
       匡廬便是逃名地 司馬仍為送老官
       心泰身寧是帰処 故郷何独在長安
 

香炉峰下新たに山居を卜(ぼく)し草堂初めて成る 偶(たまたま)東壁に題す」白居易

(日高く睡(ねむ)り足りてなお起くるにものうし 小閣(しょうかく)に衾(しとね)を 重ねて寒をおそれず
 遺愛寺(いあいじ)の鐘は 枕をそばだてて聴き 香炉峰(こうろほう)の雪は簾(すだ れ)をかかげて看(み)る 
 匡廬( きょうろ)は便(すなわ)ち 是れ名を逃(のが)るるの地 
 司馬(しば)は なお老を送るの官たり 

 心やすく身やすきは是れ帰する処 故郷何ぞ独り長安にのみ在らんや)



では、現在の世界的な美女のいる国はどこでしょうか?

現代の世界的な美女のコンテストは、「ミス・ユニバース」と「ミス・ワールド」です。
この審査と投票のポイント(1位40点、2位39点などで換算したもの)による2つのコンテストの合計ポイント上位3か国ランキングは、

1位アメリカ  6429
2位ベネズエラ 4913
3位イギリス  3571

だそうです。(出典:昭文社 「世界2013」より)

ちなみに、日本は、21位で1543です。

美女のいる国として、ベネズエラが脚光をあびているいるようです。

こんなことを考えていると、「春の心は、のどけからまし」ですねぇ〜。