なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

涛に追われるミユビシギ

九十九里海岸の砂浜を太平洋の黒潮が洗っていきます。寄せては返す波また波!!

その波のつくる幾何学的曲線をなぞって、ミユビシギの小さな群れが、動いてゆきます。動きながらエサをとっています。小さな身体で忙しく動き回ります。それを何度も何度も繰り返し、打ち寄せる波や引く波に追われながら、波に操られて、飽きもしないで行動します。

生きる! 生きるための努力がくりかえされます。

毎日飽くことなく繰り返される「生きる」ためのドラマです。


私たちも人生の涛(なみ)に追われながら「のたうち回って」生きているのかもしれません。

マーラー作曲の「大地の歌」の第一楽章の歌を思い出しました。

第一楽章で3度繰り返される

「生は暗く死も暗い(Dunkel ist das Leben,ist der Tod!」

は、絶望的な死生観を表しています。


でも、すぐに、ベートーベン作曲の「第九交響曲」の最終章が頭をよぎりました。それは、「歓喜の歌(An die Freude)」で始まります。その冒頭は、


おお友よそんな調べではだめなのだ!
声を合わせてもっと歌おうではないか
もっと喜びにあふれる調べで!
 
O Freunde, nicht diese Töne!
Sondern laßt uns angenehmere anstimmen
und freudenvollere.!


現代人のマーラーは、懐疑的な死生観を持ち続け、近世人のベートーベンは、絶望的な「ハイリゲンシュタットの遺書」を乗り越え、さらに高い、芸術的達成感を持った、肯定的死生観に到達したのでしょうか?

やはり、今日は、「第九」を聴いてみようと思います。

1989年12月25日クリスマス 「ベルリンの壁崩壊」を記念して歌われた、レナード・バーンスタイン指揮 東ドイツ、西ドイツ、イギリス、アメリカの歌手と東ドイツ、西ドイツの混成合唱団演奏のCDで・・・