なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

波崎漁港のハジロカイツブリ

漁港の岸辺近くにハジロカイツブリの5〜6羽の群れが、採食しながら浮かんでいました。近づいてみると、どんどん遠くに逃げていきました。私が遠ざかるとすぐに戻って来るようです。ハジロカイツブリたちは、冬はこの近くで生活することにしたのかもしれません。






閑話休題ー映画「天使のくれた時間」とブラウニングの詩「Pippa's Song」


最近、BSシネマでクリスマス映画を放映しています。「天使のくれた時間」も12月20日に放映されました。

「天使のくれた時間」(原題:The Family Man)は、2000年製作のアメリカ映画。「もしあの時、違う道を選んでいたら?」という人生において誰もが一度は心に抱くことをテーマに描いたファンタジー映画です。

本作は2000年度のサターンファンタジー映画賞にノミネートされ、ケイト・レイノルズ役のティア・レオーニがサターン主演女優賞を受賞しています。

あらすじは、(キネマ旬報データ・ベースより省略編集)

13年前、「ロンドン行きは考え直して」と反対する恋人のケイト(ティア・レオーニ)と別れ、仕事で成功するためにロンドンに旅立ったジャック(ニコラス・ケイジ)。

13年後のジャックは、ニューヨークのウォール街で成功し、大手金融会社社長として優雅な独身生活を満喫している人物となっていました。

クリスマスイヴを一人で過ごす彼は、豪華な高層マンションの自宅で眠りにつきます。

翌朝起きると、自分が見知らぬ庶民的な家のベッドにいることに気付きます。隣には13年前に別れたはずのケイトが寝ており、そして2人の子供までがいます。

狐につままれた思いのジャックは、

この世界にいる自分が、ボランティアで弁護士をしているケイトと、2人の子供と暮らす良き家庭人であることを知ります。仕事は、ケイトの父の店のタイヤ・セールス。はじめはとまどっていたジャックだったが、やがてケイトへの愛が蘇り、平凡な生活によって人間らしい素直な感情が芽生えてくるのでした。しかも本来の世界で働いていた会社ともコンタクトが取れ、出世の道まで開けてきます。

天使のくれた時間はそこで終わり、現実の世界に戻ったジャックは、13年後の今も独身でいるケイトにやり直そうと告げるのでした。


「地位と名誉と豪華な生活の世界」と「貧しくても暖かい平凡な家庭人の世界」のどちらが幸せなのかを問う映画です。

この映画は、1946年制作の監督フランク・キャプラ、主演ジェームス・スチュワートのアメリカ映画「素晴らしき哉、人生」(原題:It's A Wonderful Life)を下敷きにしています。この映画も「現実の世界」と「架空の世界」とを対比した「心あたたまるクリスマス映画」です。

どちらも考えさせられる映画です。

一人の人間が、2つの世界を同時に生きることはできません。この事象は、相互排反( mutually exclusive occurrences)なのです。一つを選択すれは、もう一方は捨てることになるのです。

どちらを選ぶかは、その人の人生観によるはずで、ハリウッド映画としては「貧しくても家庭的な生き方」が幸福というつもりでしょうが、現実には、必ずしもそうとは限らないかもしれません。

でも、貧富にかかわらず「愛のある家庭」が望ましいことは確かでしょうし、それは、貧しいほうが実現し易いかもしれません。


また、この映画を見て、

19世紀の英国の詩人ブラウニングの劇詩「Pippa passes, 1841」の中の詩「Pippa's Song」(岩波文庫 平井正穂 編「イギリス名詩選」より)を思い出しました。


ブラウニングの“Pippa's Song”と、その名訳の誉れ高い上田敏の訳詩「春の朝(あした)」と岩波文庫記載の平井正穂の訳詩「ピパの唄」を記します。




「Pippa's Song」  Robert Browning                                        
The year's at the spring         
And day's at the morn;
Morning's at seven;           
The hill‐side's dew‐pearled;     
The lark's on the wing;         
The snail's on the thorn;
God's in his heaven ― 
All's right with the world! 


      
春 の 朝         上 田  敏
        (「万年艸」明治35年12月発表「海潮音」明治38年10月所収 )
         
時は春、
日は朝(あした)、
朝(あした)は七時、
片岡(かたをか)に露みちて、
揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
蝸牛(かたつむり)枝に這(は)ひ、
神、そらに知ろしめす。 すべて世は事も無し。





ピパの唄         平井正
            (「イギリス名詩選」平井正穂編 岩波文庫


歳はめぐり、春きたり、
日はめぐり、朝きたる。
今、朝の七時、
山辺に真珠の露煌く。
雲雀、青空を翔け、
蝸牛、棘の上を這う。
神、天にいまし給い、
地にはただ平和!



この詩の大事な部分は最後の2行

God's in his heaven ― 
All's right with the world! 

にあります。

これを理解するのにその前の劇詩のあらすじの理解が必要です。

そのあらすじは、


北イタリアのアソロというところに ピッパという少女がいました。

ピッパは紡績工場で働いています。

彼女の休みは年に一度、元日だけです。その一日だけの休みの日、 ピッパは 歌いながら街に出かけます。

ピッパは一日中 街を歩き廻るのですが、ピッパの回りでいろんなことが起きます。

殺人のあった家の前を通ったり、悪人がピッパの無邪気な歌声で改心したりしますが、そんなことにピッパは気付きません。

ピッパはただお休みが嬉しくて歌い歩いてるだけです。

まさに、無邪気な歌は「天の啓示」なのです。


その劇詩の前提があっての 2行なのです。

God's in his heaven ― 
All's right with the world!


神、そらに知ろしめす。すべて世は事も無し(上田敏訳)
神、天にいまし給い、地にはただ平和!(平田正穂訳)



私たち日本人には、キリスト教の精神は、なかなか理解できないのですが、神の摂理のこの世を信じて、自分を委ね、貧しくとも平凡な人生でも、それを「肯定的にとらえ、精いっぱい生きることの大切さ」も考えさせられます。


あまり考えると、


「一期(いちご)は、夢よ、ただ、狂(くる)へ」

              ( 閑吟集(かんぎんしゅう))


と、刹那的(せつなてき)に生きることになるかもしれませんね。

クリスマス映画を見ていろいろ考えてしまいました。

師走の忙しい時なのに自分が、「暇人(ひまじん)」だなあとつくづく感じる今日この頃です。