なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

手賀沼遊歩道のホオジロ

冬晴れの師走の手賀沼遊歩道の立木にホオジロがやってきました。あたりを見まわしていましたがその後飛び立ちました。

1時間ほどたって再度その近くを歩いていると、また、ホオジロがやってきて、そばの歩道の立木にとまりました。

しばらく、あたりを見まわしていましたが、また先ほどと同じように、飛び去って行きました。

何故か、ホオジロによく会える1日でした。



「頬白(ほおじろ)や ひとこぼれして 散りじりに」 (川端茅舎)





閑話休題 − ベートーヴェンピアノソナタ「月光」


今日は、ベートーヴェンピアノソナタ第14番 嬰ハ短調 作品27-2 「月光」を4人のピアニストの演奏で聴いてみました。

一人目の演奏はホロヴィッツです。
1956年のRCAへの録音です。ホロヴィッツは後年旧CBSにも「月光ソナタ」を録音していますが、今日聴いたのは古い方のモノラル録音です。ホロヴィッツは、全集などを録音しないピアニストなので、ピアノソナタ全集はありません。

もう一つは、ケンプの演奏のCDです。ケンプは、ベートーヴェンピアノソナタ全集(32曲)を3度録音しているようです。

そのうちの2つは、1950〜6年のモノラルと1964〜5年のステレオの2つのセッション録音で、もう一つは、1961年10月にNHKの放送用に、7夜連続演奏したピアノソナタ全曲で、NHK秘蔵の音源から作られたCDが、最近、初回限定で販売されているようです。

今回は、ホロヴィッツ同様、古い1956年モノラル録音のCDを聴きました。

もう一つはバックハウスの演奏のCDです。バックハウスはモノラルの時代とステレオの時代にそれぞれ全集を録音しています。(ただし、29番「ハンマークラヴィーア」のみはステレオでの再録音がされなかったのでモノラル時代の録音が流用されています)以前、LPレコードでは、モノラル録音の全集も持っていましたが、CDでは、持っていないので、今回は1958年ステレオ録音のCDです。

もう一つの演奏はギレリスのCDです。1980年9月、ベルリンのイエス・キリスト教会でのステレオ録音です。ギレリスは、あと5曲でベートヴェンのピアノソナタ全集が完成する予定だったのに急逝したのでピアノソナタ全集はありません。

最初は、比較して聴こうとしていたのですが、どの演奏も素晴らしく、聴いていて聴きほれてしまうので、批評はとてもできません。それぞれ個性があり、どの演奏も満足して聴くことができました。大家の演奏はどれも見事なものです。

今日は、ケンプの演奏が気に入りましたが、明日は、バックハウスかもしれません。ギレリスも、ホロヴィッツもいいですよ。



ピアノソナタ第14番 嬰ハ短調 作品27-2 「月光」は、ベートーヴェンピアノソナタの中では、一番著名な曲と思われます。

日本では戦前の尋常小学校の国語の教科書に、「月光の曲」の物語として紹介されました。


ウィキペディア」(内容を追加省略編集しています)によれば、

「月光の曲」の物語は、19世紀にヨーロッパで創作され、愛好家向けの音楽新聞あるいは音楽雑誌に掲載されたもので、日本では、1892年小柳一蔵著「海外遺芳巻ノ一」に「月夜奏琴」という表題で掲載され「月夜奏琴」を読みやすい口語調「月光の曲」に書き直したものといわれています。

尋常小学校の国語の教科書の内容を、以下に「ウィキソース」よりそのまま引用します。

月光の曲
著作者:文部省
底本『初等科國語 七』(1943年)

十六 月光の曲

 ドイツの有名な音樂家ベートーベンが、まだ若い時のことであつた。月のさえた夜、友人と二人町へ散歩に出て、薄暗い小路を通り、ある小さなみすぼらしい家の前まで來ると、中からピヤノの音が聞える。
「ああ、あれはぼくの作つた曲だ。聞きたまへ。なかなかうまいではないか。」
かれは、突然かういつて足を止めた。
 二人は戸外にたたずんで、しばらく耳を澄ましてゐたが、やがてピヤノの音がはたとやんで、
「にいさん、まあ何といふいい曲なんでせう。私には、もうとてもひけません。ほんたうに一度でもいいから、演奏會へ行つて聞いてみたい。」
と、さも情なささうにいつてゐるのは、若い女の聲である。
「そんなことをいつたつて仕方がない。家賃さへも拂へない今の身の上ではないか。」
と、兄の聲。
「はいつてみよう。さうして一曲ひいてやらう。」
ベートーベンは、急に戸をあけてはいつて行つた。友人も續いてはいつた。
 薄暗いらふそくの火のもとで、色の逭い元氣のなささうな若い男が、靴を縫つてゐる。そのそばにある舊式のピヤノによりかかつてゐるのは、妹であらう。二人は、不意の來客に、さも驚いたらしいやうすである。
「ごめんください。私は音樂家ですが、おもしろさについつり込まれてまゐりました。」
と、ベートーベンがいつた。妹の顔は、さつと赤くなつた。兄は、むつつりとして、やや當惑(たうわく)のやうすである。
 ベートーベンも、われながら餘りだしぬけだと思つたらしく、口ごもりながら、實はその、今ちよつと門口で聞いたのですが──あなたは、演奏會へ行つてみたいとかいふことでしたね。まあ、一曲ひかせていただきませう。」
そのいひ方がいかにもをかしかつたので、いつた者も聞いた者も、思はずにつこりした。
「ありがたうございます。しかし、まことに粗末なピヤノで、それに樂譜もございませんが。」
と、兄がいふ。ベートーベンは、
「え、樂譜がない。」
といひさしてふと見ると、かはいさうに妹は盲人である。
「いや、これでたくさんです。」
といひながら、ベートーベンはピヤノの前に腰を掛けて、すぐにひき始めた。その最初の一音が、すでにきやうだいの耳にはふしぎに響いた。ベートーベンの兩眼は異樣にかがやいて、その身には、にはかに何者かが乘り移つたやう。一音は一音より妙を加へ神に入つて、何をひいてゐるか、かれ自身にもわからないやうである。きやうだいは、ただうつとりとして感に打たれてゐる。ベートーベンの友人も、まつたくわれを忘れて、一同夢に夢見るここち。
 折からともし火がぱつと明かるくなつたと思ふと、ゆらゆらと動いて消えてしまつた。
 ベートーベンは、ひく手をやめた。友人がそつと立つて窓の戸をあけると、清い月の光が流れるやうに入り込んで、ピヤノのひき手の顔を照らした。しかし、ベートーベンは、ただだまつてうなだれてゐる。しばらくして、兄は恐る恐る近寄つて、 「いつたい、あなたはどういふお方でございますか。」
「まあ、待つてください。」
ベートーベンはかういつて、さつき娘がひいてゐた曲をまたひき始めた。
「ああ、あなたはベートーベン先生ですか。」
きやうだいは思はず叫んだ。
 ひき終ると、ベートーベンは、つと立ちあがつた。三人は、「どうかもう一曲。」としきりに頼んだ。かれは、再びピヤノの前に腰をおろした。月は、ますますさえ渡つて來る。
「それでは、この月の光を題に一曲。」
といつて、かれはしばらく澄みきつた空を眺めてゐたが、やがて指がピヤノにふれたと思ふと、やさしい沈んだ調べは、ちやうど東の空にのぼる月が、しだいにやみの世界を照らすやう、一轉すると、今度はいかにもものすごい、いはば奇怪な物の精が寄り集つて、夜の芝生(しばふ)にをどるやう、最後はまた急流の岩に激し、荒波の岩に碎けるやうな調べに、三人の心は、驚きと感激でいつぱいになつて、ただぼうつとして、ひき終つたのも氣づかないくらゐ。
「さやうなら。」
ベートーベンは立つて出かけた。
「先生、またおいでくださいませうか。」
きやうだいは、口をそろへていつた。
「まゐりませう。」
ベートーベンは、ちよつとふり返つてその娘を見た。
 かれは、急いで家へ歸つた。さうして、その夜はまんじりともせず机に向かつて、かの曲を譜に書きあげた。ベートーベンの「月光の曲」といつて、不朽の名聲を博したのはこの曲である。



ご存じのようにベートーヴェンは、この曲に「月光」という標題をつけていません。

実は、ハインリヒ・リルシュタープという詩人が、第1楽章を「月のあかりを浴びてルツェルン湖の波間に漂う小舟のようだ」と評したことにより、ベートー ヴェンの出版社がベートーヴェンのつけた「幻想曲風ソナタ」に「月光」という副題をつけて出版されたそうです。

この曲は、数多いベートーヴェンの愛人の一人であるジュリエッタ・グィチアルディ伯爵令嬢に捧げられたとのことです。

「月光の曲」のお話は、作り話だとしても感動的で、この曲を聴くと子供のころに聞いた、この物語を思い出して、つい感傷的になってしまいます。

師走のこの時期に、この曲を久しぶりに聴いてみると、いろいろな出来事が過去から未来に続く走馬灯のように頭の中を駆け巡ります。

「月光ソナタ」は、いつ、だれの演奏で聴いても、感動する名曲ですね。