なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

センダンをついばむ我孫子駅前のヒヨドリ

我孫子駅前南口に2〜3本黄色い実をつけたセンダンの木があります。駅前にいつもいるヒヨドリたちが、この実を食べにやってきます。

人に慣れたヒヨドリですが、望遠レンズのついたカメラを構えるとすぐに逃げてしまいます。

一枚だけ撮影できました。





閑話休題ー「山水経(さんすいきょう)」と「アインシュタインの時間」の類似性
      とダン・ブラウン著「天使と悪魔」


「峯(みね)の色 谷のひびきもみなながら
  わが釈迦牟尼(しゃかむに)の 声と姿と」    (道元禅師)


道元禅師著作の「正法眼蔵」の「山水経(さんすいきょう)」に

「青山は運歩不得なり、東山水上行不得なると山を誹謗することなかれ。低下の見処のいやしきゆえに、青山運歩の句をあやしむなり。小聞のつたなきによりて、流山の語をおどろくなり。いま流水の言も、七通八達せずといへども、小見小聞に沈溺せるのみなり」

(現代語訳)

「青山(せいざん)は歩くことが出来ないし、東山は水上を行くことが出来ないなどと、山を誹謗(ひぼう)してはなりません。自分の見解が取るに足らないものだから、「青山が歩く」という言葉を怪しんでしまうのです。仏法をたいして聞いてもいないので「山が流れる」という言葉に驚いてしまうのです。今、「水が流れる」という言葉であっても、その道理を良く分かっていないために、自分の見聞した小さい範囲に溺れてしまうのです」

とあります。

山水経(さんすいきょう)などという名のお経はありません。道元禅師の造語なのです。

道元禅師は、「山水は実は大経巻そのものであり、真理そのものなのです。さらに悟りを体現した仏の眼に映ずる山水は、仏心に映ずる山水で諸法実相(しょほうじっそう)なのです。」と説教しているようです。

この言葉は、私達の日常生活の世界観の見直しを迫ったものなので、理屈で納得するものではありません。私たちが、目覚(めざ)めて世界を見ているかを問われているのです。

鈴木大拙(すずきだいせつ)氏は、「知恵」でなく「智慧」で観る、「思慮(しりょ)を絶(ぜっ)したところに思慮を運(めぐ)らすこと、存在の秘密にさぐりを入れること、理性的牢獄(りせいてきろうごく)から脱出すること、対象界を超越してからそこに何があるかを見る」ことが肝要といっています。

アインシュタインは、「光の速度が、時間や距離から求められる二次的な値ではなく光速こそが絶対不変の量なのだ」と、ニュートン時間を否定したのです。

つまり、ニュートンの「絶対時間」と「絶対空間」は、否定されたのです。

ニュートンの「絶対時間」と「絶対空間」は、通常、私たちがいだいている「縦・横・高さのある三次元の空間に住み、過去から未来に一様に流れる時間に沿って生きている」という普通の考え方なのですから、普通の人は道元禅師がいうように、その道理が良く分かっていないので自分の見聞した小さい範囲に溺れてしまっているわけなのです。

アインシュタイン特殊相対性理論の試行実験によれば、宇宙ステーションから見ていると、光速に近い速度で飛んでいる宇宙船の中の時間は遅れるのです。この事実から宇宙船が縮んでしまうことが導かれます。

つまり、「光速に近づくと空間が縮む」わけです。

特殊相対性理論では、だれから見ても光速は、一定不変であり、そのため時間も空間も相対的であり、見る人の立場によって変化するというのです。

これが宇宙の本性なのです。


鎌倉時代道元禅師の悟りの境地からくる「時間と存在」の捕らえ方は、普通の人の認識とは相当のへだたりがあります。また、アインシュタインの時間も普通の人の認識とかなりのへだたりがあります。普通の世界を否定する見方には、「禅の神髄」と「現代物理学」との類似性を感じてしまいますね。

でも、「宗教」と「科学」は、どういう関係にあるのでしょうか?

仏教と異なる「キリスト教と科学の戦いの歴史」は、かなり長いようです。

アメリカの小説家ダン・ブラウン著のサスペンス小説「天使と悪魔」には、この関係が、面白く描かれています。

以下は「ウィキペディア」の「天使と悪魔」より引用します。


『天使と悪魔』(てんし と あくま、ANGELS & DEMONS)はダン・ブラウン著のサスペンス小説。「ロバート・ラングドン」シリーズ第1作。アメリカでのポケット・ブックス社発売は2000年だが、日本ではそれに追って2003年、角川書店から上下巻で発売された。現在角川文庫からも上中下巻で発売されている。日本語版の翻訳者は越前敏弥。同じくダン・ブラウンの著書『ダ・ヴィンチ・コード』が映画化されるに際し、上中下巻に分冊した文庫版が売り上げを伸ばしたことから、本作も2006年に文庫版3冊が発売された。なお、『ダ・ヴィンチ・コード』に続いて映画化された。

(あらすじ)

ハーバード大学ロバート・ラングドン教授は、ある日セルン(欧州原子核研究機構)の所長、マクシミリアン・コーラーから、とあるアンビグラムの紋章についての説明を求められる。その紋章は、同研究所の科学者レオナルド・ヴェトラが何者かによって殺害された際、彼の胸に焼印として押されていたものだった。レオナルドは最近、核エネルギーを凌駕する反物質の生成に成功しており、その反物質も犯人によって盗まれていたことが判明する。ラングドンはその紋章を、伝説的な秘密結社・イルミナティのものと断定するが、犯人と結びつけることには躊躇していた。彼は手がかりを求め、殺害されたレオナルドの娘、ヴィットリア・ヴェトラとともにローマへと向かう。

一方ローマでは、新しい教皇を選出するコンクラーベの真っ最中であった。にもかかわらず、新教皇の有力候補(プレフェリーティ)の4人が揃って失踪していることに、コンクラーベ進行役の枢機卿であるモルターティは不安と苛立ちを覚える。さらに、離れた場所では、バチカンの警護を任されたスイス衛兵隊隊長、オリヴェッティのもとに監視カメラから奇妙な映像が映し出されていた。そんな中、前教皇の侍従、カルロ・ヴェントレスカのもとにイルミナティを名乗る者から突然の電話が鳴る。かつて科学者を弾圧したキリスト教会に復讐するため、1時間に1人ずつ、拉致した新教皇の有力候補を殺害してゆくという。

殺害が行われる場所のヒントに気付いたラングドンは、殺害を阻止し、盗まれた反物質を発見すべく推理と追跡を開始する。

登場人物[編集]
ロバート・ラングドンハーバード大学教授、宗教象徴学専門
ヴィットリア・ヴェトラ:欧州原子核研究機構(セルン)の科学研究者。レオナルドの娘
レオナルド・ヴェトラ:ヴィットリアの父親。科学者であると同時に司祭でもある。
マクシミリアン・コーラー:欧州原子核研究機構の所長
カルロ・ヴェントレスカ:前教皇侍従(カメルレンゴ)
モルターティ:枢機卿コンクラーベの進行役 大選皇枢機卿。79歳で、枢機卿の中では最も高齢。
オリヴェッティ:スイス衛兵隊 隊長
ロシェ:スイス衛兵隊副隊長、大尉
シャルトラン:スイス衛兵隊、少尉
ガンサー・グリック:BBC記者
チニータ・マクリ:BBCカメラマン
バッジア:プリフェリーティ(新教皇の最有力候補)の1人
ハサシン


ダン・ブラウン著「天使と悪魔」(角川文庫上・中・下)の反物質による「バチカン」と「セルン(欧州原子核研究機構)」のお話は、「宗教」と「科学」の対立を物語るのですが、キリスト教カソリック)と仏教とは根本的な違いがあるような気がします。

宗教と科学は、「お互いに認め合いながら両立していく」のが望ましいような気もしますが・・・

なお。蛇足ですが、トム・ハンクス主演の映画「天使と悪魔」は、原作の登場人物と筋書が大きく変更されていて、あまり上出来ではないような気がします。私は「期待はずれ」でした。原作の小説の方がずっと面白いです。