なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

春うららー手賀沼遊歩道の優美なツバキ

手賀沼遊歩道で赤い椿を見かけました。まだツボミがいっぱいついています。


椿の字は木偏に春と書いて椿となっています。椿は、冬から春に咲く花のようですが、古人は春に咲く花と意識していたのかもしれません。

椿の季語(きご)は春とのことです。

花言葉は「誇り、完璧な魅力」、赤椿は「気取らない優美」、白椿は「理想の愛」だそうです。

ウィキペディアによれば、椿という字は、歴史的な背景として、日本では733年「出雲風土記」にすでに椿が用いられているそうです。

椿は、万葉集にも詠まれていており、室町時代には茶花として観賞されてきたようです。

また、江戸時代には江戸の将軍や肥後、加賀などの大名、京都の公家などが園芸を好んだことから、庶民の間でも大いに流行し、たくさんの品種が作られたそうです。

椿は、サザンカと違って「花びら」から散るのではなく、「花ごと」落ちるので武士には「首が落ちること」をイメージすることで「忌(い)む花とされた」などといわれていますが、それは、明治時代以降に言われた「俗説」とのことで、江戸時代はそんな認識はなかったそうです。


手賀沼遊歩道のこのツバキの咲いている周辺で、

ウグイスが「ホー・ホケキョ」と時々鳴いたりしています。

うららかな春、真っただ中の「手賀沼遊歩道」です。



「 椿ちるべに 椿ちる つばきちる
       細き雨降り うぐいす啼けば 」 (与謝野晶子








閑話休題三好達治の詩 「甃(いし)のうへ」



春になるとこの詩をよく思い出します。




      「甃のうへ」   三好達治(みよしたつじ)



あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ
をみなごしめやかに語らひあゆみ
うららかの跫音(あしおと)空にながれ
をりふしに瞳(ひとみ)をあげて

翳(かげ)りなきみ寺の春をすぎゆくなり
み寺の甍(いらか)みどりにうるほひ
廂(ひさし)々に


風鐸(ふうたく)のすがたしづかなれば
ひとりなる
わが身の影をあゆまする甃(いし)のうへ



この詩は、何か浮き立つような「高揚感」と「無常観」をしめやかに歌い上げているのがいいですね。

「花びら」の流れてゆく、移り行く「無常」と 今、輝いている「をみなご」を対比させ
それを見ている私たちに「もののあはれ」を強く感じさせる美しい詩です。



この詩を思い出した時、いつも聴きたくなるのは、ヴェルディ作曲のオペラ「椿姫(つばきひめ)」です。

ヒロインのヴィオレッタの美しくも儚(はかな)い一生を見事に描いたこの作品は、外国の女性でも「身を引く」ような恋心があることを教えてくれます。

今日は、手っ取り早く聴くために、ヴェルディ作曲 歌劇「椿姫」第1幕及び第3幕への前奏曲トスカニーニ指揮NBC交響楽団(1946年)のCDで聴いてみました。


CDデータ

ヴェルディ:歌劇『椿姫』(全曲) (1946年12月1&8日, Studio 8H) アルトゥーロ・トスカニーニ指揮 NBC交響楽団

 リチア・バネーゼ(Sp), マクシーヌ・ステルマン(Ms), ジャン・ピアース(T), ジョン・ガリス(T), ロバート・メリル(Br), ジョージ・  チェハノフスキー(Br), ポール・デニス(Bs), アーサー・ニューマン(Bs), ピーター・ウィロウスキー合唱団



オペラ音楽で最初に買ったレコードがトスカニーニ指揮の「椿姫」(全曲)だったからかも知れませんが、(「椿姫」のCDは、他の指揮者のステレオ録音も持っているのですが、)とても古い録音ですが、今でもトスカニーニ大全集のCDを聴いてしまいます。

トスカニーニのよく歌う颯爽(さっそう)たる演奏は、いつも感動してしまいます。

春になると何か「華やか」でいて何か「憂い」にみちた気分になるのは、私だけなのでしょうか?!