なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

市川市動植物園のバラ「インカ」

 


 「花の色は うつりにけりな いたづらに
        わが身世にふる ながめせしまに」

                小野小町古今和歌集


(春の長雨が降っている間に桜の花の色は、むなしく衰(おとろ)え色あせてしまいました!
 
 恋や世間のことを思い悩んでいるうちに、私の美貌(びぼう)も衰えてしまいました!)



伝説の美女で、三十六歌仙の一人、平安初期の女流歌人ナンバー・ワンで百人一首でも有名な小野小町(おののこまち)の「花(さくら)の短い命と佳人薄命(かじんはくめい)」の儚(はかな)さを詠(よ)んだといわれる名歌です。

日本のこの時代に詠まれた「花」は、梅か桜のどちらかなのですが、西洋では「バラ」なのかもしれません。


「花の短い命」について、日本の歌人は詠嘆(えいたん)したのに比べて、西洋では、とても現実的かつ刹那的(せつなてき)に考えていたようで、特に、中世からルネサンスにかけて、古代ローマ時代の無常観(むじょうかん)「Carpe diem(カルペ・ディエム)」という言葉が広まっていたようです。


Carpe diem(カルペ・ディエム)「一日の花をつめ」という言葉は、紀元前1世紀のローマの詩人ホラティウスラテン語で書かれた次の詩句から言われ始めたようです。


 「なぜなら、僕らがこんなおしゃべりをしている間にも
  意地悪な時は 足早に逃げていってしまうのだから
  今日一日の花を摘みとることだ
  明日が来るなんて あてにはできないのだから」


つまり、ホラティウスは「今日一日の花を摘みとることだ 」というこの部分で、「今この瞬間を楽しめ」「今という時を大切に使え」と言おうとしているようです。


ルネサンスの頃には、この言葉は、「人生はつかの間で、明日はどうなるか分からないのだから今を楽しもう」という「現世主義の標語」として用いられ、全ヨーロッパに広がっていたようです。

この無常観はイギリス・ルネサンスの詩人エドマンド・スペンサー(Edmund Spenser)にも影響を与えたようで、彼は、16世紀末に「妖精(ようせい)の女王」という長編叙事詩(ちょうへんじょじし)を書いています。

その中にThe Song of Rose「薔薇(ばら)の歌」があります。この歌はCarpe diem(カルペ・ディエム)を歌っていて長くイギリスで愛唱されたそうです。



     ―The Song of the Rose ―

The whiles some one did chant this lovely lay:
'Ah see, whoso fair thing dost fain to see,
In springing flower the image of thy day;
Ah see the virgin rose, how sweetly she
Doth first peep forth with bashful modesty,
That fairer seems,the less ye see her may;
Lo see soon after, how more bold and free
Her bared bosom she doth broad display;
Lo see soon after, how she fades, and falls away.

So passeth, in the passing of a day,
Of mortal life the leaf, the bud, the flower,
Ne more doth flourish after first decay,
That erst was sought to deck both bed and bower,
Of many a lady, and many a paramour;
Gather therefore the rose, whilst yet is prime,
For soon comes age, the will her pride desflower;
Gather the rose of love, whilst yet is time,
Whilst loving thou mayst loved be with equal crime.'



  ―薔薇の歌―   平井正穂訳(エドマンド・スペンサー) 妖精の女王より


 その間にも、誰かが次のような甘い唄(うた)を歌っていた。
「美しいものを見たい、いや、溌剌(はつらつ)と咲く花のうちに
 自分の華々(はなばな)しい一生の姿が見出せる、と思う人は、見るがいい、
乙女(おとめ)のように含羞(はにか)む薔薇(ばら)の花を見るがいい。初めのうちは、
しおらしげにそっと外の様子を窺(うかが)いながら綻(ほころ)び始める、
人の眼につかないければつかぬほど、その色艶(いろつや)もひとしおだ。
だが、あっというまに、彼女は大胆不敵(だいたんふてき)になり、
人目も憚(はばか)らず裸の胸元(むなもと)を拡(ひろ)げる始末(しまつ)だ。
そして、忽(たちま)ち、色褪(いろあ)せ、凋(しぼ)み、朽(く)ち果(は)ててゆく。

こんな風に一日は過ぎ去り、こんな風に
人の一生は、その緑の葉は、蕾(つぼみ)は、そして花は過ぎさってゆく。
多くの美女の、そして多くの恋する男たちの
寝床(ねどこ)を飾(かざ)り、閨房(けいぼう)を飾るために求められた花も、
ひとたび凋(しぼ)めば二度と咲くことはできないのだ。
だから、春の盛りの過ぎぬ間に、薔薇の花を摘(つ)むがいい、
花のおごりを散らす老齢がすぐにやってくるからだ。
まだ時がある間に、うしろめたくても愛し愛される時が
まだある間に、恋の薔薇の花を摘むがいい」



スペンサーの少し後に活躍する,イギリスの劇作家ウイリアムシェイクスピア(William Shakespeare)にもこの無常観は影響しているそうで、彼の作品「十二夜」で道化フェステが歌う歌の一節に


 What is love? 'Tis not hereafter;
Present mirth hath present laughter;
What's to come is still unsure.
In delay there lies no plenty,


(恋って何だ? あしたじゃないよ。今楽しいから、今笑うんだ。
先はいつでも当てにゃならない。)

というのがあるそうです。


当時の人は戦争や疫病(えきびょう)の猛威(もうい)を目の前にして、死を身近に感じていたということのようです。


また、17世紀のイギリスの聖職者ロバート・へリック(Robert Herrick)の「乙女へ、時を大切にするように」(To the Virgins, to Make Much of Time)という標題のバラを詠んだ詩があるようです。この詩もCarpe diem(カルペ・ディエム)の無常観で綴(つづら)られているようです。


 Gather ye rosebuds while ye may,
Old time is still a-flying :
And this same flower that smiles to-day
To-morrow will be dying.


できる時に薔薇の蕾(つぼみ)を摘(つ)み取りなさい。
 老いた時の神は飛ぶのを休みはしない。
 今微笑(ほほえ)んでいるこの花も、
 明日には枯れてしまう。



バラ園の黄色のバラ「インカ」は鮮やかな大輪の花を今を盛りと咲き誇(ほこ)っていました。人間の無常観となんの関係もないように!


バラの「インカ」についてネットの「バラ図鑑」に、次のような説明文がありました。


品種名:インカ Inka

系統:[ HT ] ハイブリッドティーローズ

作出:ドイツ タンタウ(Tantau)
 作出年:1979年

 花色:鮮やかな濃黄色
 花型:剣弁高芯咲き
  花径:大輪 10cm
樹形:直立性
樹高:1〜1.2m
花季:四季咲き





「すがれたる 薔薇(さふび)をまきて おくるこそ
          ふさはしからむ 恋の逮夜(たいや)は」

                   (芥川龍之介