掲載写真は、6月1日〜2日の「探鳥会」で撮影した新潟県の松之山のブッポウソウです。
探鳥会参加の20人の人数に驚いた現地のブッポウソウは、マイクロバスが近づいただけで逃げていたのですが、最終日に遠くからでしたが、ようやく撮影することができました。
ブッポウソウは、全長30センチでキジバトより一回り小さい鳥です、環境省レッドリストで絶滅危惧(ぜつめつきぐ)IB類(EN)に指定される{ゲッ、ゲッ」と鳴く稀少(きしょう)な鳥です。
ところで、聖徳太子(しょうとくたいし)の定めた有名な「十七条の憲法(じゅうしちじょうけんぽう)」の2に「仏」「法」「僧」が出てきます。
二に曰(いわ)く、
篤(あつく)三宝(さんぽう)を敬(うやま)へ。
三宝とは仏法僧(ぶっぽうそう)なり、則(すなわ)ち四生(ししょう)の終帰(しゅうき)にして、萬国(ばんこく)の極宗(ごくしゅう)なり。
何(いず)れの世、何れの人か、是(こ)の法を貴(たっ)とばざる。
人に尤(はなはだ)悪(あ)しきものは鮮(すく)なし、能(よ)く教ふれば之(これ)に従わん。
其れ三宝に帰(き)せずんば、何を以(もっ)てか枉(まが)れるを直(なお)くせん。
(意訳)
第二条
篤く三宝を敬え。
三宝とは仏・法・僧をいう。
即ち、一切諸生(いっさいしゅじょう=生きとし生けるもの))の終帰するところにして、如何(いか)なる国も究極にはこれを教えと為(な)す。
いかなる世、いかなる人に、この法を貴ばざるものがあろうか。
人に生来よりの悪は少なし、故によく教化すれば必ずこれに従う。
三宝に帰せざれば、どうして枉(まが)れるを直(なお)くすることができようか
このように三宝とは、仏教における3つの宝物を指し、具体的には仏・法・僧のことをいいます。この三宝に帰依(きえ)することで仏教徒とされるそうです。
小乗仏教(最近では上座部仏教という)においては、一人で涅槃(ねはん)を発見した「仏」(釈迦)、その仏の説いた教え「法」、その教えを受けることにより四向四果(しこうしか)に達した者の集団である「僧伽(そうぎゃ)」であるとされています。
大乗仏教においては、悟(さと)りの体現者である「仏」(釈迦、如来など)、仏の説いた教えを集大成した「法」、法を学ぶ仏弟子の集団である「僧伽」であるといわれています。
つまり、ブッポウソウは、「仏」「法」「僧」という「三宝」の声で鳴く霊鳥(れいちょう)として知られていました。
でも、千年以上もの間、その鳴き声を「間違えられていた」ようです。
昭和10年のNHKのラジオ番組で 愛知県鳳来寺山(あいちけんほうらいじさん)のブッポウソウの声が全国に放送されたことがきっかけで 「ブッ、ポウ、ソウ」と鳴くのは、 実はフクロウ科の「コノハズク」であることが判明したようです。
この年に開かれた日本鳥類学会で報告され 「声のブッポウソウはコノハズク」「姿のブッポウソウはブッポウソウ」 と改めて発表されたそうです。
姿のブッポウソウは、夏鳥として、九州、四国、本州の山地や林に局地的に飛来するそうです。
彼らは、つがいで生息し、高い木の上や空中にいることが多く、低い場所に降りることは少ないようです。
ブッポウソウは、高い木の枯れ枝を休息場所にするようで、この写真のブッポウソウも二羽で枯れ枝で休んでいました。
弘法大師空海((こうぼうだいしくうかい)の漢詩に高野山(こうやさん)で鳴くブッポウソウを詠んだ詩があります。
このようにブッポウソウは霊鳥と考えられていたようです。
「後夜(ごや)仏法僧鳥を聞く」 (空海)
閑林(かんりん) 独座(どくざ)す 草堂(そうどう)の暁(あかつき)
三宝(さんぽう)の声 一鳥(いっちょう)に聞く
一鳥(いっちょう) 声有り 人 心(こころ)有り
声心(せいしん) 雲水(うんすい) 倶(とも)に 了々(りょうりょう)
(意訳)
山のひっそり静まった草堂の夜明けにひとりで座(すわ)っていると
どこからか「仏法僧(ブッポウソウ)」と鳴く声が聞こえてきます。
鳥は、ただ仏法僧と鳴くだけですが、私は、思わず心に感じて悟(さとる)ものがありました。
鳥の声と人の心、更にまた山中の雲と水とがまったく一つにとけあい、無限の感情を呼び起こすのです。