桐(きり)は、日本原産ではないそうで、古代に輸入されたようですが、詳しいことはわかっていないようです。
桐は、「王朝文学(おうちょうぶんがく)」の代表作、「源氏物語(げんじものがたり)」や「枕草子(まくらのそうし)」の題材(だいざい)になっています。
したがって桐は平安時代より以前に輸入されていたようです。
さて、ご存じのように、紫式部(むらさきしきぶ)作の「源氏物語」は「桐壺(きりつぼ)」から始まりますね。
源氏物語「桐壺」
いづれの御時(おほんとき)にか。
女御(にようご)、更衣(かうい)あまたさぶらひ給(たま)ひけるなかに、
いとやんごとなき際(きは)にはあらねど すぐれて時めき給(たま)ふありけり。
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(意訳)
どの帝(みかど)の御世(みよ)であったか、
女御(にょうご)や更衣(こうい)が大勢(おおぜい)お仕(おつか)えなさっていた中に、たいして高貴(こうき)な身分(みぶん)ではない方で、きわだって帝(みかど)の寵愛(ちょうあい)を集めていらっしゃる人がありました。
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また、主人公の光源氏(ひかるげんじ)は桐壷帝(きりつぼのみかど)と桐壷更衣(きりつぼのこうい)との間に生まれ、光源氏の母は、桐の花咲く淑景舎(しげいしゃ)に住んでいました。
当時、淑景舎は、庭に桐の木が植えられていたので別名を「桐壷(きりつぼ)」といわれていたようです。
したがって、平安時代には、すでに宮中の庭には桐が植えられていたと考えられます。
また、清少納言(せいしょうなごん)作「枕草子」(三七 木の花は)の「桐の花」の項には、次のように描かれています。
「桐の花 紫に咲きたるは なほおかしきを 葉のひろごりさまうたてけれど 又こと木どもとひとしくいふべき にあらず もろこしにことごとしき名のつきたる鳥の これにし栖(す)むらむ 心ことなり まして琴につくりてさざまなる音の出でくるなどをかしきとはよのつねにいふべくやはある いむじうこそはめでたけれ」
(意訳)
桐の花が紫に咲くのは見事なものです。ひろがった葉のつきぐあいがぶざまのように思えますが、特別な木のようで、中国(唐)では鳳凰(ほうおう)がとまる木とのことです。また琴はこの木でつくり、さまざまな音をかきならすのだから、やはりふつうの木ではないのでしょう。
「もろこしにことごとしき名のつきたる鳥」とは「鳳凰(ほうおう)」なんだそうです。
岩波書店の辞書「広辞苑(こうじえん)」の「鳳凰」の説明によれば
「古来中国で、麒麟(きりん)・亀・竜と共に四瑞(しずい)として尊(とうと)ばれた想像上の瑞鳥(ずいちょう)。形は、前は麒麟(きりん)、後ろは鹿、頸(くび)は 蛇、尾は魚、背は亀、頷(あご)は燕(つばめ)、嘴(くちばし)は鶏(とり)に似(に)、五色絢爛(ごしょくけんらん)、声は五音(ごいん)にあたり、梧桐(ごどう)に宿(やど)り、竹実(ちくじつ)を食(くら)い、醴泉(れいせん)を飲むといい、聖徳の天子の兆(きざ)しと現れると伝え、雄を鳳(ほう)、雌(めす)を凰(おう)という。
と説明しています。
桐の木は、高貴(こうき)な木なので天皇家のシンボルとして「菊」と「桐」は家紋とされ、今でも用いられています。
また、庶民の遊ぶ花札(はなふだ)の12月の絵柄(えがら)にも、デフォルメされた大きな鳳凰(ほうおう)の下に、大きな桐の図柄(ずがら)が描(えが)かれています。
「宮中の桐の木」ではなく、新潟県松之山の「里山に点在する桐の木」には、鳳凰(ほうおう)ならぬホオジロが「我が世の春」を歌っています。
見上げるような桐の木の花が満開のこの時、ホオジロは気持ちよさそうに彼のテリトリーを宣言しています。
「桐の花」は初夏を彩る最も美しい花の一つです。しかし梢の高いところに咲くので、人目に触れる機会は少ないのかもしれません。が・・・
江戸時代後期の歌人小沢蘆庵(おざわろあん)の歌集「六帖詠草(ろくじょうえいそう) 」の中に、不意(ふい)にかおる「桐の花」を詠(よ)んだ歌があるようです。
いとながき日のつれづれなるに、おぼえずうちねぶるほど、かをる香におどろきたれば、桐の花なりけり
「みどりなる 広葉隠れの 花ちりて
すずしくかをる桐の下風」
(意訳)
緑色の広い葉に隠れている桐の花が散って、その木の下を風が通り過ぎると、桐の香が涼しげに薫(かお)ります。
散り落ちた桐の花に風が吹いて、その香に卒然と目覚めたという歌です。
桐の花の甘い香りは独特だそうで、風が吹いて突然薫ればとても驚くことでしょう。
松之山の桐は、遠く離れていたので、独特の香りは分かりませんでしたが、ホオジロの囀(さえず)る歌声はあたり一面に鳴り響(なりひび)いていました。
山里にはホオジロがよく似合う!