「あぢさゐの 八重咲くごとく 八つ代にを(安治佐為能 夜敝佐久其等久 夜都与尓乎)
いませわが背子 みつつ偲はむ ( 伊麻世和我勢故 美都々思努波牟)」
橘 諸兄’(たちばなのもろえ) (万葉集 巻二十−4448)
(意訳)
あじさいの花が、幾重(いくえ)にも群(むら)がって咲くように、いつまでもいつまでもお健(すこ)やかでいてください。
わたしはこの花を見るたびに ああなたを思い出しましょう。
気象庁の発表によると、
関東甲信地方では、前線を伴った低気圧の影響で雨の降っている所が多く
なっています。向こう一週間も、気圧の谷や湿った気流の影響で曇りや雨の
日が続く見込みです。
このため、関東甲信地方は、6月5日ごろに梅雨入(つゆい)りしたと見られます。
とのことで、今まさに梅雨の最中(さなか)です。
「入梅」はだいたい6月11日ごろ(正確には太陽の黄経が80度の日)ですが、このような暦の上の表現としては「入梅」を使うことができます。
ところが、気象上の実際の「梅雨入り」の時期は、年によって、またところによって異なるので、「入梅」の日と「梅雨入り」の日とはほとんど重ならないようです。
なお江戸っ子は、梅雨(つゆ)を「入梅(にゅうばい)」と言い表してきたことがあったそうで、金田一春彦(きんだいちはるひこ)の「ことばの歳時記(さいじき)」によれば、永井荷風(ながいかふう)の「つゆのあとさき」に次のような記述があるそうです。
「雨が降っているが小降りで風もなく、雲切れのし始めた入梅の空は・・・」
いっぽう関西では伝統的に「つゆ」を用いてきたようです。現在の共通語としては、東京の「にゅうばい」ではなく、もともとは関西のことばであった「つゆ」が広く用いられています。
梅雨には、「あじさい」がよく似合いますね。
しっとりと濡れた姿も美しく、梅雨ならではの風情を感じます。
どうして、「紫陽花」と書いて「あじさい」と読むのかというと実は先に「あじさい」という呼び名があり、後から「紫陽花」という字をあてたからのようです。
あじさいは大変古くから親しまれていて、日本最古の和歌集「万葉集」では、「味狭藍」「安治佐為」と書かれているようです。
それが「紫陽花」になったのは、唐の白居易(はくきょい)が別の花につけた「紫陽花」を、平安時代の学者が「あじさい」にあてたからだといわれています。
あじさいは日本原産のようで、よく見かける手まり状のあじさいは、「西洋あじさい」と呼ばれています。
「あじさい」は、もともとは日本固有の植物でしたが、長崎に来たシーボルトが、恋人のお滝(たき)さんにちなんで「オタクサ」という名をつけ、海外に紹介したといわれています。
それ以来、西洋でも親しまれるようになり、様々な品種改良を経て日本に逆輸入されるようになったようです。
掲載の写真は、雨の降り注(そそ)ぐ我が家(わがや)の庭のあじさいの花です。
あじさいの葉っぱに雨粒(あまつぶ)が転(ころ)げ落ちる風情(ふぜい)は、梅雨(つゆ)の季節の我が家の風物詩(ふうぶつし)です。
最後にあじさいを詠んだ詩を鑑賞してみましょう。
教科書にも載ってる三好達治(みよしたつじ)の有名な詩「 乳母車(うばぐるま)」です。
乳母車 三好達治
母よ──
淡くかなしきもののふるなり
紫陽花いろのもののふるなり
はてしなき並樹のかげを
そうそうと風のふくなり
時はたそがれ
母よ 私の乳母車を押せ
泣きぬれる夕陽にむかつて
りんりんと私の乳母車を押せ
赤い総ある天鵞絨の帽子を
つめたき額にかむらせよ
旅いそぐ鳥の列にも
季節は空を渡るなり
淡くかなしきもののふる
紫陽花いろのもののふる道
母よ 私は知ってゐる
この道は遠く遠くはてしない道