なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

梅雨の晴れ間に咲く朝顔の花

梅雨の晴れ間に咲く朝顔の花は、しのびよる夏の訪れを連想させます。


朝顔は、はかない命を象徴する花で、鴨長明(かものちょうめい)の随筆
方丈記(ほうじょうき)」の最初の一段にも次のように表現されています。



「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。
たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、卑しき、人のすまひは、世々経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。
あるいは去年焼けて今年作れり。あるいは大家滅びて小家となる。
住む人もこれに同じ。
所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。
朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水のあわにぞ似たりける。
知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。
また知らず、仮の宿り、たがためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。
その、あるじとすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。
あるいは露落ちて花残れり。
残るといへども朝日に枯れぬ。
あるいは花しぼみて露なほ消えず。
消えずといへども夕べを待つことなし。」



このように、鴨長明は、住居と住人とが無常を争う様子は、「朝顔の露(あさがおのつゆ)」と同じと言っています。


               「朝がほや 一輪深き
                    淵(ふち)の色」

                      (与謝蕪村


写真の朝顔は、コンビニの駐車場の脇の塀に咲いていました。その花々は、その短い命の間に、移り行く時の流れを見つめているように感じました。