なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

みのりの秋

秋の田んぼは、収穫の時期を迎えています。

たわわに実った稲穂(いなほ)が重そうに垂れ下がっています。


    「 実るほど 頭(こうべ)を垂(た)れる 稲穂(いなほ)かな 」


熟年になってくると次第に年輪が積み重なり、自然と謙虚になるもので、小人物ほど尊大に振る舞うものだということ。

つまり、人格の高い人ほど「他人に対して謙虚である」とのことわざなのです。


それなのに、私は、夏目漱石の「草枕」の冒頭を思い出してしました。(出典:青空文庫


「山路やまみちを登りながら、こう考えた。

智ちに働けば角かどが立つ。情じょうに棹さおさせば流される。意地を通とおせば窮屈きゅうくつだ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高こうじると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟さとった時、詩が生れて、画えが出来る。

人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りょうどなりにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。・・・」

私は、智に働いて角がたち、情に棹さして流され、意地を通して世間を狭くしている自分を感じます。

この年になっても、いまだ、青々として実っていない私は、多分、則天去私(そくてんきょし)の心境には程遠い存在です。

藤沢周平原作 の映画、多分「蝉しぐれ」だったと記憶しているのですが、「不熟者」という言葉にドキッとしたものです。

[未熟者]は、これから熟す可能性がありますが、その可能性のないのが[不熟者]なのです。

誰も年老いてくると、今迄の性格を簡単には修正できなくなるようです。

また、以前、テレビのCMで流れていた「反省だけなら 猿でもできる」という映像も思い出されました。

秋もいよいよ深まっていきます!