なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

羽を広げたコミスジ

滑空と小さなはばたきを繰り返しながら、小さな蝶がひらひら飛んできて、木の葉にとまりました。

すぐに羽をひろげました。

ミスジです。

ミスジは、濃茶色地に三本の白い帯を持つやや小さめのタテハチョウです。

清らかな水が小さなせせらぎになっている静かな秋の森の小路です。

おだやかな秋の太陽光があたたかく蝶を照らしています。

静かな静かな森も径(こみち)です。

この径を歩いていると「薄田泣菫(すすきだきゅうきん)」の次の詩を思い出しました。




「ああ大和にしあらましかば 」    (薄 田 泣 菫)


ああ、大和にしあらましかば、
いま神無月(かみなづき)、
うは葉散り透く神無備(かみなび)の森の小路を、
あかつき露(づゆ)に髪ぬれて、往きこそかよへ、
斑鳩(いかるが)へ。平群(へぐり)のおほ野、高草の
黄金(こがね)の海とゆらゆる日、
塵居(ちりゐ)の窓のうは白(じら)み、日ざしの淡(あは)に、
いにし代の珍(うづ)の御經(みきやう)の黄金文字、
百濟緒琴(くだらをごと)に、齋(いは)ひ瓮(べ)に、彩畫(だみゑ)の壁に
見ぞ恍(ほ)くる柱がくれのたたずまひ、
常花(とこばな)かざす藝の宮、齋殿(いみどの)深に、
焚きくゆる香ぞ、さながらの八鹽折(やしほをり)
美酒(うまき)の甕(みか)のまよはしに、
さこそは醉(ゑ)はめ。

新墾路(にひばりみち)の切畑(きりばた)に、
赤ら橘(たちばな)葉がくれに、ほのめく日なか、
そことも知らぬ靜歌(しづうた)の美(うま)し音色に、
目移しの、ふとこそ見まし、黄鶲(きびたき)の
あり樹の枝に、矮人(ちひさご)の樂人(あそびを)めきし
戯(ざ)ればみを。尾羽(をば)身がろさのともすれば、
葉の漂ひとひるがへり、
籬(ませ)に、木(こ)の間(ま)に、──これやまた、野の法子兒(ほふしご)の
化(け)のものか、夕寺深(ゆふでらふか)に聲(こわ)ぶりの、
讀經や、──今か、靜こころ、
そぞろありきの在り人の
魂(たましひ)にしも泌み入らめ。

日は木(こ)がくれて、諸(もろ)とびら
ゆるにきしめく夢殿の夕庭寒(ゆふにはさむ)に、
そそ走(ばし)りゆく乾反葉(ひそりば)の
白膠木(ぬるで)、榎(え)、楝(あふち)、名こそあれ、葉廣(はびろ)菩提樹
ゆきのさざめき、諳(そら)に聞きほくる
石廻廊(いしわたどの)のたたずまひ、振りさけ見れば、
高塔(あららぎ)や、九輪の錆(さび)に入日かげ、
花に照り添ふ夕ながめ、
さながら、緇衣(しえ)の裾ながに地に曳きはへし、
そのかみの學生(がくじやう)めきし浮歩(うけあゆ)み、──
ああ大和にしあらましかば、
今日神無月、日のゆふべ、
聖(ひじり)ごころの暫しをも、
知らましを、身に。


秋も深まりつつあり、文学に親しみやすいシーズンの到来ですね。