なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

利根川上空を飛ぶミサゴ

利根川下流のヨシ原に一羽のタカが現れました。

堤防の上を一跨ぎに一直線に飛んでいきます。

ヨシ原の鷹チュウヒに注目していたので、かなり接近してから気が付きました。

チュウヒではありません。

身体が白いのでミサゴかと思いましたが、尻尾が長いし、眉斑が白く明瞭なので、オオタカのようにも見えます。

そこでこのブログを最初に掲載した時はオオタカとして掲載しましたが、山階鳥類研究所の専門家から以下のご指摘がありましたのでその内容をそのまま掲載させていただくとともにオオタカをミサゴに訂正させて頂きます。(したがってオオタカの関係のブログの説明は、この写真とは、別のものとして参考程度にしてください)


以下説明文


この画像の鳥がミサゴかオオタカかについては、下記のようなポイントに注目されるとよいと思います。参考にしていただければと思います。

・全体の色彩がこげ茶色と白である(顔のパターンや下面が白いことからもしもオオタカなら成鳥でしょうが、オオタカの成鳥はもっと青灰色がかって見えることが多い)。
・体の下面に細かい横斑が見えない(オオタカでも見えづらいことはあるでしょうがこれだけ大きく写っていてまったく見えないのはおかしい)。
・胸の上部中央に不規則なこげ茶色の斑がある(オオタカにはこういう斑はない)。
・白い眉斑が太い(オオタカでもそうとう太く見えることはあるでしょうがこんなには太くないでしょう)。
・翼が長い(ブログの2コマめ、翼角より基部側も先端側もとても長いです。アオサギのような感じ。オオタカの翼はこれよりずっと短く見えます)。
・尾が短い(どのコマでもわかりますが、たとえば2コマめ、翼の長いのとの対比で、オオタカのプロポーションと相当違うのがわかると思います)
・翼の下面の濃淡のパターン(翼角のより先よりに黒っぽい部分があり、外側初列風切の先端部も黒っぽい。オオタカの成鳥ではこういうはっきりした濃淡は見えないと思います)。




ミサゴは、あっという間に飛び去って行きました。

流石(さすが)に鷹らしい素早い動きです。



鷹といえばやっぱりその代表はオオタカですが、鷹狩に使用される鷹に関して、日本鷹匠協会のホームページに以下の説明がありましたのでそのまま掲載させていただきます。



使用猛禽類の種類と特性

「鷹狩りに用いる猛禽類の種類は、獲物の大きさや性質などによって次の通りに異なる。

ヒバリやツグミなどの小鳥には小型なハイタカが、キジ・ヤマドリ・カモ・ウサギなどには中型のオオタカが用いられる。

両種は、広くやや短めの翼と長い尾を持つことによって、森の木々の間を素早く身軽にすり抜けて獲物を追跡でき、主に中空で横合いから獲物をさらう。

中・大型鳥類やウサギから仔鹿までの哺乳類は、クマタカイヌワシが用いられ、イヌワシの長く幅広い翼は拡げると2メートル近くにもなり、高空を帆翔し獲物を見つけると翼をすぼめて急降下して捕える。
両種は大型ゆえに維持管理が大変なため扱っている人は僅かである。クマタカは非常に気が荒いが、より大型なイヌワシは比較的大人しく調教しやすい。

空を羽ばたく鳥類、鴨や鳩などにはハヤブサが使用され、高空から獲物を見つけるなり、流線型のボディとぐいの後方に反った三日月刀型の翼を最大限に生かして、飛翔中の獲物に急降下し懸爪で蹴落とす。

ちょっとした狩りや渡りを楽しむには小型なチョウゲンボウが最適である。体型はハヤブサに似るが、狩猟方法は異なり、超低空飛行で獲物に気付かれないよう近より捕える。

数秒間空中で制止できる鳥でもある。一般に管理・調教しやすく性能が良く醍醐味のあるオオタカハヤブサが、いつの世でも多く使用されている。」

(以上 日本高城協会の説明から転載しました)


でも、伊勢物語の「鷹狩の故事」のように、人間、年老いてくると余計なことを言って誤解されることもあるので気をつけたいものです。


伊勢物語」(百十四段) (在原業平

昔、仁和(にんな)のみかど芹河(せりがわ)に行幸し給ひける時、今はさること似げなく思ひけれど、もとつきにける事なれば、大鷹(おおたか)の鷹飼(たかかひ)にてさぶらはせ給ひける、摺狩衣(すりかりぎぬ)の袂(たもと)に書きつける、

翁(おきな)さび 人なとがめそ 狩衣 けふばかりとぞ 鶴(たづ)も鳴くなるおほやけの御気色(けしき)あしかりけり。

おのが齢(よはひ)を思ひけれど若からぬ人は聞きおひけりとや。

(意訳)

その昔、仁和の帝(光孝天皇)が芹河にお出ましになった時、大鷹の鷹飼としてお供させていた男がこういう振る舞いはその場に似付かわしくないとは思ったものの、元々得意の才芸として身に付けたことなので
模様摺りの狩衣の袂に次のような歌を書き付けました。

老人めいた狩衣を、みなさんどうぞお咎(とが)めなさいますな。ほら、田んぼの鶴も鳴いていますよ、こういうことをするのは今日限り、私の最後の御奉公ですから、
 
この歌を聞いた帝の御機嫌(ごきげん)は、良くありませんでした。

つまり、この男は自分自身の老齢を念頭に置いて詠んだのだけれど、若くもない人(光孝天皇)はこの歌を聞いて自分自身の事を詠んだものだと解釈した、というお話です。



ところで、鷹狩は江戸時代に隆盛だったようですが、すでに、平安時代に開催されていたのですねぇ〜。



[遙かなる 行方(なめがた)の冴えや ぬくめ鳥」  (松瀬青々)



注)ぬくめ鳥・・・冬の寒い夜、鷹(たか)が小鳥を捕らえてつかみ、足をあたためること。鷹は翌朝その小鳥を放し、その飛び去った方向へその日は行かないという。