なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

宿坊・一乗院

弘法大師空海は高野七口(こうやななくち)といわれる,たくさんある登り口の中から九度山(くどさん)から高野山の大門に続く道を表参道と定め、木製の卒塔婆(そとば)を立てて道しるべにしていました。

その「道しるべ」が、木製のため、朽(く)ちてしまったので、鎌倉時代九度山から大門をへて根本大塔(こんぽんだいとう)までの間、一町(約109メートル)ごとに180基の石造の五輪塔をたてたそうです。

この石を町石(ちょういし)といい、この道は、町石道(ちょういしみち)とよばれました。

この道は全工程約24キロ、高低差700メートルあり、踏破(とうは)するのに7時間を要する表参道でした。

そのため、高野山で参詣者が宿泊する施設が必要なのですが、高野山には宿はありません。

そこで、お寺の中に宿泊する施設を併設するようになりました。

それが宿坊(しゅくぼう)です。つまり、お寺が経営する宿泊施設なのです。

高野山に点在するお寺は、塔頭寺院(たっちゅうじいん)といいます。高野山全体を大寺(だいじ 総本山金剛峯寺)に見立て、その山内に建てられた小院で、現在では117ヶ寺が存在し、そのうち52ヶ寺は宿坊として、高野山を訪れる参詣者の宿泊施設となっています。

私が宿泊させていただいた一乗院(いちじょういん)もその宿坊なのです。

一乗院の歴史は古く、弘仁(こうにん)年間(840年頃)に創建され、金剛峯寺の塔頭寺院として千年以上の歴史を持つ古刹(こさつ)とのことです。

江戸時代には高野山の塔頭寺院の古跡名室として定められ、寺領三十五石を拝領していたそうです。

ご本尊(ほんぞん)は、鎌倉時代に制作された弥勒菩薩(みろくぼさつ)です。本堂内は「撮影禁止」のため写真掲載はできませんが、本堂内に安置された弥勒菩薩は、きらびやかで立派な坐像(ざぞう)でした。

この宿坊には、たくさんの襖絵(ふすまえ)が描かれており、このブログに掲載されている最初の座敷の写真は、大名が泊まる「上段の間」とのことで、襖絵は江戸時代狩野派(かのうは)の絵師である狩野探斎によって描かれたそうです。手前の部屋は「角の間」と称し、襖絵は同じく狩野探斎の筆によるものとのことです。

宿坊という言葉からすると、古色蒼然(こしょくそうぜん)たる「宿(やど)」を連想しますが、この宿坊の設備は高級ホテルなみで、庭の見える和室を持ち、大浴場の設備も立派で、乾燥・マッサージ付き洋式洗浄式トイレ、暖房設備・大型加湿器も用意され、お寺の宿泊施設とは、とても思えないほど洗練されたものでした。

食事は、精進料理(しょうじんりょうりですが、高級料亭なみの出来ばえで、写真には写っていませんが、この他に野菜の天麩羅(てんぷら)がつきます。料金を加算すれば特別料理も選択できますが、これで十分豪華な食事と思われました。

この宿坊の最大の特徴は、本堂で朝六時から始まる勤行(ごんぎょう)にあります。

この本堂の豪華さは素晴らしく、その中で行われる5人の僧侶による読経(どきょう)と聲明(しょうみょう)は、とても見事なもので、極楽(ごくらく)の気分(きぶん)に浸(ひた)れます。

「聲明」あるいは「声明」というのは、「仏教の声による音楽」です。

仏教には、ふつうの「お経きょう)」のほかに、独特の楽譜に基づいて歌われる、いわばメロディーのある「お経」があり、それらを総称して聲明と呼んでいます。

本来、聲明は、仏教儀式のときに僧侶たちによって歌われるものですが、最近、音楽表現の一つとして舞台で公演されたり、現代音楽の作曲家たちによって聲明が音楽語法の一つとして注目されてきてます。また、ほとんどの日本の伝統的な声楽の源流が聲明だともいわれているそうです。

この宿坊の現在のご住職は、高野山の「聲明グループ」のリーダーとのことです。

この朝の勤行は、宿泊者は、希望すれば全員参加でき(無料)、僧侶の読経・聲明の後「般若心経(はんにゃしんぎょう)を参加者全員で唱え、お焼香(しょうこう)し、最後に、ご住職の短い「お話」で終わります。


(ご住職のお話の概要)

真言の教えは、「死んだら仏になる」ということではなくて、今をどう生きるか、今を輝いて生きるにはどうしたらいいかの教えです。

高野山は、弘法大師様の教えを1200年以上受け継ぎ、今も実践(じっせん)し、未来永劫(みらいえいごう)それを伝えていく使命をもっています。

高野山世界遺産(せかいいさん)に指定されましたが、「遺産」ではなくて、生きた山」です。」


この短いお話を聞いているうちに、私の心にひびくものがありました。

どうも真言密教は、「生命の海」のようなのです。聲明でよく唱えられる「理趣経(りしゅきょう)」の精神にそれがありそうな気がしました。

「欲望をなくす」ことではなく、「欲望を活かす生き方」のようです。

仏教般若経典(はんにゃきょうてん)の行き着いた先は「欲望否定から欲望肯定」の密教の「理趣経」だったのかもしれません。 

つまり、「色即是空しきそくぜくう」から「空即是色くうそくぜしき」へ、「俗なるもの」から「聖なるもの」へのベクトルと「聖なるもの」から「俗なるもの」へのベクトルの繰り返しを何度も行ううちに、我が身が浄化され、さらに密教で行われる身口意(しんくい)の三密加持(さんみつかじ)により、大日如来(だいいちにょらい)の大宇宙と一体化してゆくことが、即身成仏(そくしんじょうぶつ)なのかもしれません。

私は仏教に関しては全くの独学なので、当たっていないのかもしれませんが、八宗の祖「龍樹(りゅうじゅ)」の「中論ちゅうろん」の八不(はっぷ)による否定語で表される「空(くう)」を、その発展形として法華経(ほけきょう)は、諸法実相(しょほうじっそう)に転化し、それをさらに深化させた姿が密教経典の理趣経などにあるような気がします。

聲明「理趣三昧(りしゅざんまい)」の一部の詠唱は、たとえ数分でも、私達、衆生(しゅじょう)を極楽に導いてくれるのかもしれません。

一乗院の朝の勤行に参加したことは、空海の著作「秘密曼荼羅十住心論(ひみつまんだらじゅうじゅうしんろん」「秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)」などに説かれている「十住心」の記述を、本だけで理解していた私のおぼろげな認識世界が、「生きた宗教の姿」の聲明などによって、わずかですが深まったのは望外の喜びでした。

ありがたいことです!

この宿坊では、写経(しゃきょう)も、真言宗(しんごんしゅう)の瞑想法(めいそうほう)である「阿字観(あじかん)」の初歩(数息観 すそくかん、阿息観 あそくかん)も僧の指導により体験することもできます。

ここで部屋食の配膳やお世話をしてくれるのは、若い「見習いのお坊さんたち」で、「おもてなし」の精神が行き届いていて、とても、すがすがしいものでした。

ほんの一日の宿泊でしたが、いい時間を過ごさせていただきました。




「生まれ生まれ生まれ生まれて生(しょう)の始めに暗く
 死に死に死に死んで死の終りに冥(くら)し」

         空海 秘蔵宝鑰 序文より

  




オリンパス ミラーレス一眼 OM−E E−M1(パワーバッテリー・ホルダー HLD−7付).ズーム・レンズ  OLYMPUS M Zuiko D 14-42 F3.5-5.6 ii MSCMで撮影。.

一乗院の門構え




上段の間

家族3名で宿泊した「梢月亭しょうげつてい」(12畳和室 茶室付き)

梢月亭の部屋からの眺め(花が咲いていないシャクヤクの木がありました)

精進料理「花山吹御膳」(定食の精進料理)