「 春まけて もの悲しきに さ夜ふけて
羽振(はぶ)き鳴く鴫(しぎ) 誰(た)が田にか棲(す)む 」
(万葉集 大伴家持)
(意訳)
春となって、そぞろ悲しいときに、夜も更けて
はばたき鳴く鴨は、誰の田に落ち着くのだろうか
この歌は大伴家持が越中の国の国司として滞在していた天平勝宝二年(750年)3月1日に詠んだ歌と言われています。
参考までに、2015年4月18日が、旧暦の3月1日になります。
「春まけて」というのは「やっと春になって」という意味なので、少し変ですが、北陸「遅い春」なのでしょう。
なお、下の句の意訳は斎藤茂吉「万葉秀歌」の訳では、「あゝ あの鴫は誰の田に住んでいる鴫だろうか」となっていますが、このブログでは、池田弥三郎・山本健吉「萬葉百歌」の説「誰の田に落ち着くのだろうか」のほうが、自然のように感じたので採用しました。
この歌の鴫がどんな鴫なのか分かりませんが、(多分、ここで詠まれたシギはセイタカシギではないと思いますが)セイタカシギは「水辺の貴婦人」と形容されるほど美しいシギなので、家持が気にするのにふさわしいと思って、この歌を掲載することにしました。
引き潮時の干潟に5〜6羽のセイタカシギが採食しながら歩いていました。
そのうちの1羽が羽ばいたので少し緊張しましたが、その場所でまた採食をはじめました。
どこに飛んで行くつもりだったのでしょうか?
キヤノンEOS 7D Mark II+ タムロンSP 150-600mm F/5-6.3 Di VC USDで手持ち撮影