なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

桜と宇宙

一休禅師(いっきゅうぜんじ)の有名な道歌があります。


「桜木を くだきて見れば 花もなし

          花をば 春の空ぞ 持ち来る」


手賀沼遊歩道ではソメイヨシノ桜が散って、園芸品種のサトザクラの一種である江戸(桜)が咲き、今度は、同じサトザクラの梅護寺数珠掛桜が咲きました。

春になれば、桜の花々も咲き誇り、また、散っていきます。

一休禅師のいうように桜の木を切り刻んでみても花は見つかるものではありません。

毎年咲く桜の花は、[春の空]が持ってくるのです。

「春の空」の「春」は時間の「ひととき」であり「空」は空間と考えてみれば「春の空」は「時空間 じくうかん」をあらわし、花は「宇宙 うちゅう」が持ってくるのかもしれません。

一般に、宇宙というのは、漢代に書かれた思想書「淮南子 えなんじ」 巻十一 斉俗訓」に「往古来今謂之宙、四方上下謂之宇」(往古来今これ宙という、四方上下これ宇という)と記述があり、この本は、かなり古い時代に、わが国に伝来され、今でも、なんとなく使っている言葉です。

これを現代的に考えてみると「往古来今」は、過去から未来へ流れ行く「時間」をいい、「四方上下」は「空間」を表しています。

つまり、宇宙というのは、現代の物理学でいう「四次元の時空間」を指しています。

さて、現代物理学の発展は、ニュートンアインシュタインなどの理論により発展してきました。

一般に私たちの思い描く宇宙という概念は、とても広い時空間であり、この二人の偉大な科学者も、私たちとそれほど違わない「静止した宇宙観」をもっていたようです。

でも、その後の「宇宙理論の研究」やその「実証分析技術の進歩」は、すざましいものがあり、素粒子(そりゅうし)を扱う量子論(りょうしろん)を加味した「精密宇宙論」となっています。

現代物理学では、ルメートルや、ハッブルなどによる「宇宙膨張説」が通説となり、広大不変の静止宇宙説は否定されています。

でも「精密宇宙論」の中核となる「量子論」は、確定的(かくていてき)に物事を語ることのできない世界なのです。つまり確率的(かくりつてき)にしか説明できない世界です。「シュレーディンガーの猫/シュレディンガーの猫(独:Schrödingers Katze)」の世界なのです。

残念ながら、私たちの実感できる世界は「確定的な理論が成立する世界」です。

かって、アインシュタインは、この「確率的世界」を「神はサイコロ遊びをしない」と批判したのです。

20世紀の頭脳のアインシュタインでも錯覚した「宇宙」なので、私たちには、とても信じがたい宇宙が現代の物理学が展開している宇宙なのです。

つまり、ニュートンアインシュタインの考えていた「静止宇宙論」はもうすでに過去のものとなっています。(後にアインシュタインも、この「静止宇宙論」の過ちを認めています。)

さて、宇宙が膨張してできたとすれば、今の宇宙は、以前はずっと小さかったはずですね。

どれくらい小さかったのでしょうか、手のひらに乗るくらいの小さな宇宙だったのでしょうか?

とんでもない、もっともっと小さいのです。1ミリよりずっと小さい極小の世界のようです。

イギリスの物理学者ホーキングによれば、実時間で「宇宙の急激な膨張するビッグバン宇宙」を考えると、宇宙の始まりは物理法則が成り立たない「特異点」から始まることになり、論理的説明は不可能となるそうです。

そこで、彼は、実時間とは異なる「虚数時間 きょすうじかん」を導入し、量子力学と重力理論を統一することで時空宇宙の始まりを矛盾なく説明できると考えたようです。

虚数時間の世界は、私たちの常識のまったく通じない世界です。なぜなら、そこで論ぜられる宇宙は、時間も空間も超えた私たちが経験したことのない世界なのです。

宇宙の起源は、現代物理学でも、まだはっきりしていませんが、どうも宇宙は「無」から始まったようです。

その「無」は、私たちの普通考える「無」ではなく「物質もエネルギーも時間も空間もない無」なのです。

まだ、定説ではないようですが,ウクライナの物理学者ビレンケンによれば、宇宙は、「無」から137億年前、突然出現したとのことで、その大きさは、10のマイナス35乗メートルとされているようです。

桜の花がどこから来たのか?

ぼんやり、こんなことを空想してみました。

桜の木の中の世界も、木の細胞からみたミクロ的世界は、とても広大ですが、その中に極小の「花の素(もと)」があり、その極小の宇宙に「何かが」ゆらいでいるかもしれません。

でも、その「花の素」はひとつではなく、いくつかの「花の素」の塩梅(あんばい)つまり虚数時間から実時空間への「ゆらぎ」によって、突然、花が咲くような気もしてきます。

そんなとりとめのないことを考えていても、何事もなく春の日は暮れていきます!




梅護寺数珠掛桜