なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

吸蜜する夏の蝶キアゲハ

単なる「蝶」は、春の季語ですが、夏の蝶は、夏の季語となります。

夏の蝶の代表は揚羽蝶(あげはちょう)です。アゲハチョウは、(ナミ)アゲハ、キアゲハ、クロアゲハ、カラスアゲハなどの総称としても使われているようです。

手賀沼遊歩道近くの畑の花(コスモス?)にキアゲハがまとわりついていました。


蝶と花とは、経営用語でいう「Win-Win」(うぃんーうぃん)の関係にあるようです。

つまり、花は、蝶に「花粉を運んでもらうサービス」に対して、その報酬(ほうしゅう)として蜜(みつ)を支払っている関係といえます。お互いに利益がある関係です。

蝶と花の関係を「ドライ」に捉(とら)えれば、このような関係となるわけですが、禅者から見ればこの関係は少し違ってきます。

以下に、蝶と花を詠(よ)んだ良寛禅師(りょうかんぜんじ)の漢詩をみてみましょう。



  花無心招蝶    花は、無心にして蝶を招き
  蝶無心尋花    蝶は、無心にして花を尋ねる
  花開時蝶来    花 開く時、蝶来り
  蝶来時花開    蝶 来る時、花開く

  吾亦不知人    吾れもまた人を知らず
  人亦不知吾    人もまた吾れを知らず
  不知従帝則    知らずして帝の則に従う

 (帝則=自然の摂理せつり)

(意訳)花は、無心に蝶を招いています。
    蝶も、無心に花を尋ねています。
    花が開く時、蝶がやってきて、
    蝶がくる時に花が咲きます。

    私もまた、誰も知りませんし。
    誰も私のことを知りません。
    ただ、自然に生きているだけなのです。

               
この良寛さんの漢詩は、「花無心」を詠(うた)っているわけで、花の中には、何の打算も無いのですし、蝶もまた何の打算も無いわけです。

彼らは自然と一体になり、自然の中に溶け込んでいるのです。

欧米人や、欧米式考え方をしている私たちと禅者とは同じものをみても、捉え方(とらえかた)は相当「異なる」ようです。

人間がどのように考えているかは何の関係もなく、このキアゲハは、黄色の花に吸い寄せられるように何度も何度も吸蜜していました。



「蝶一つ 撫子(なでしこ)の花を 去り得ざる」  (正岡子規