広い草の生えた空き地に、小川が流れています。
この小さな川の岸辺は昔風の土で、現代風のコンクリートで固められた、岸辺ではありません。
しかも、この川は、蛇行していて直線ではないため、流れも比較的、緩(おだ)やかです。
ここは、都市公園なので、人工的に昔風の「せせらぎ」を造(つく)ったのかもしれません。
この「せせらぎ」はトンボの繁殖に適しており、たくさんのトンボがこの川面を飛んでいます。
特に、シオカラトンボ(塩辛蜻蛉)は、とても数が多く、数えられないほど飛んでいます。
戦後まもなくの頃は、このような小川はどこにでもあり、トンボもたくさん群れ飛んでいましたが、今では、多くの小川は水路となり、コンクリートで固められ、水はけのよい直線的で経済的なものに改造されています。
この改造により、メダカやカエルやトンボたちの生活の場がなくなったため、これらの生き物は近年、かなり減少しているようです。
また、暑さに弱いトンボたちは、地球温暖化やヒートアイランド現象などの厳しい生活環境にさらされているため、ますます、都会でトンボを群れで見る機会が減少しています。
古来、わが国は、秋津島(あきつしま)と呼ばれ、トンボがいっぱいいる「トンボの島」だったそうです。
「日本書紀」に大日本豊秋津洲(おおやまととよあきつしま)、「古事記」には大倭豊秋津島(おおやまととよあきつしま)とあるようです。
トンボは、昔、秋津(アキツ、アキヅ)と呼ばれてきたようです。
アキツのツは、言葉をつなぐ接続詞なので「秋の〜」という意味になり「〜」は虫なので、秋津虫(アキツムシ=秋の虫)となり、トンボのことを意味しています。
秋は収穫(しゅうかく)の秋であり、その頃、たくさんのトンボが山から田んぼに下りてきて、田んぼの上を飛び回り、害虫を自分の体重ほど大量に食べてくれます。
トンボの攻撃力は強力であの獰猛(どうもう)なスズメバチでも食べてしまうほどだそうです。
最近のスズメバチ騒動(そうどう)の増加は捕食者(ほしょくしゃ)であるトンボの減少も関係しているのかもしれません。
したがって、トンボは、害虫を退治(たいじ)してくれて、豊穣(ほうじょう)の秋を実現してくれる「秋の虫」であり、豊穣の国である日本を「秋津島(あきつしま)」と呼んだようです。
現在、田んぼの土地改良などや工業用地転換。住宅用地転換などによって、日本は経済大国になっていますが、生物多様性(せいぶつたようせい)を犠牲(ぎせい)にして成り立っているのかも知れません。
この都市公園の限られた川辺のスペースも、トンボたちにとっては今では貴重な「楽園」となっています。
たくさんのシオカラトンボが、川面を群れ飛んで、誰かが岸に立てかけた枝に競(きそ)いながらとまっています。次々にとまっています。
シオカラトンボのメスは、ムギワラトンボなので、この近くにいるはずですが、チョット見ただけなので、見つけられませんでした。
トンボたちが楽しげに飛んでいるのを見ていると、何かほのぼのとした気分になりましたが、すこし「さびしさ」も感じました。
「遠山が 目玉にうつる とんぼかな」 (小林一茶)