立春大吉。
旧暦では立春近くに正月がめぐってきたので、立春は春の始まりであり、1年の始まりであったようです。
厳密に言うと、暦の上では1年の始まりは正月で、生活の始まりは立春と、別のものととらえられていたそうです。
まだまだ寒さは厳しいですが、立春を過ぎてから初めて吹く強い南風を「春一番」といいます。
もうすぐ春一番も吹くことでしょう。
今年は2月4日から立春が始まりました。
また、この二十四節気(にじゅうしせっき)の他に、一年に咲く花を元にした花暦(はなごよみ)があります。
この花暦は中国から伝わったのですが、日本の季節にはなじまなかったので、江戸時代に日本流にしたようです。
一月から順に松、梅、桜、藤、菖蒲(しょうぶ)、牡丹(ぼたん)、萩、芒(すすき)、菊、紅葉(もみじ)、柳、桐と続きます。
古来、花といえば桜ではなく梅であり、万葉集でもよく詠まれています。
冬が去り他に先がけて咲く梅が春の象徴なのです。
曹洞宗(そうとうしゅう)開祖の道元禅師(どうげんぜんじ)もその著作「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」の「梅花(ばいか)の巻」に「春が来たから梅が咲くのではなく、梅が咲くから春が来る」と言っています。
ちょっと下世話の話になりますが、(もう気づいた人もいると思いますが)実は、「花札(はなふだ)」は、この花暦の絵柄(えがら)で作られています。
「松に鶴」、「梅に鶯」などですね。その他、「柳に燕」、「萩に猪」、「紅葉に鹿」、「牡丹に蝶」などもありますね、
これらの花と動物は一対として自然に存在しているわけではありません。
つまり、花札には季節の象徴が描かれているのです。
では、何故、「梅に鶯」の札には、鶯ではなく敢えてメジロが画かれているのでしょうか?
「江戸時代の人が鶯とメジロを間違えた」などという人もいるようですが、そんなことではありません、
鶯が藪にいて梅の木には、ほとんどこないことは、江戸時代の人たちは十分知っていて、梅によく来るのは実際はメジロなので、メジロを画いて「梅に鶯」と春の代表を表現したようです。
「萩に猪」もちょっと謎ですがまたの機会に・・・
その「梅に鶯」なのですが、偶然、梅に鶯が来ることもあるようですが、残念ながら私には撮影経験がありません。
そこで、今年の2月4日に手賀沼公園に咲いていた紅梅と白梅の写真と以前に我孫子で撮影した「梅とメジロ」の写真と、以前2月に撮影したウグイスの写真を並べて掲載します。
「春来ぬと 人はいえども鴬の なかぬかぎりは あらじとぞ思ふ」
意訳:誰がなんと言おうとも、ウグイスの鳴き声を聞くまでは、春が来たという気がしません。