なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

手賀沼ハスの群生地のハスの花

手賀沼大橋の近くにハスの群生地があります。

毎年この時期、群生地のハスが開花します。

ハスの葉っぱが大きいので花はその葉の間より顔を出す程度です。

その時、ふと「花の台(うてな)も同じことなり 」という文章が頭をかすめました。

ところが、この文章が何に書かれていたのか思い出せません。

はかない記憶を思い出してみると、いろんな文章の寄せ集めに思えてきました。

その元になる文章は、源氏物語の「夕顔」に出てくる「玉の台(うてな)も同じことなり」のようです。

その「夕顔」の部分を下に記述してみますと

(原文)

「御車もいたくやつしたまへり、 前駆も追はせたまはず、 誰れとか知らむとうちとけたまひて、 すこしさし覗きたまへれば、 門は蔀のやうなる、押し上げたる、見入れのほどなく、ものはかなき住まひを、あはれに、 何処かさしてと思ほしなせば、 玉の台も同じことなり 」

与謝野晶子訳)

今日は車も簡素なのにして目だたせない用意がしてあって、前駆の者にも人払いの声を立てさせなかったから、源氏は自分のだれであるかに町の人も気はつくまいという気楽な心持ちで、その家を少し深くのぞこうとした。門の戸も蔀風しとみふうになっていて上げられてある下から家の全部が見えるほどの簡単なものである。哀れに思ったが、ただ仮の世の相であるから宮も藁屋わらやも同じことという歌が思われて、われわれの住居すまいだって一所いっしょだとも思えた。


で、その最後の文章を何故か思い出していたのです。

では、何故、玉が花に変化したのかを考えてみると

ハスは古来から世界中に分布しており、日本では古事記万葉集にも出てくるようですし、古代インドでも、ハスは多産・命の創造・豊穣・幸運・繁栄等の象徴とされ、蓮華台(れんげだい)を根本的なシンボルとしている仏教では、仏教が誕生した際に、蓮華はお釈迦様の誕生を告げて花を開いたということとされているそうです。

また、蓮華は泥等のある池でもしっかりと根を張り、きれいな花を咲かせる生き様が仏教に近似する事からも大切にされ、お経の「妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)」にも蓮華が登場しています。

以上のことから私の頭の中で情報が混在してハスの花から「花の台も同じことなり」を連想したようです。

老いてくると、今まで記憶していたことが混在してくるのかもしれません。

それはさておき、今、朝日を浴びて咲く淡いピンクのハスの花は清楚な美しさを見せてくれています。