なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

手賀沼遊歩道のモズ

手賀沼遊歩道を歩いているとモズの鳴き声が聞こえました。

探してみると遊歩道の並木の枝にいましたが葉っぱが邪魔してよく見えません。

彼方此方移動してかろうじて撮影しました。


ところでモズには古くからの伝承があるようです。

古事記」に、大雀命(おほささぎのみこと)が崩御され、毛受之耳原(もずのみみはら)にその陵墓があるとの記載があり、(注:「おおささぎ」とは巨大な陵墓を意味しますが、大雀の当て字は「もず」の事だそうです)

日本書紀」には、仁徳天皇仁徳天皇87年(399)正月に崩御され、同年10月、百舌鳥野陵(もずののみささぎ)に葬(ほうむ)られたと記載されています。

つまり「仁徳天皇陵」は、正式名称を「百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)」というそうです。

「百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)」という言葉は、平安時代の法令集である「延喜式(えんぎしき)」に登場し、それが仁徳天皇の御陵(みささぎ)であることと、場所と大きさが記述されているそうです。

その伝承は「ある日、突然鹿が飛び出してきて倒れて死んでしまった。鹿の耳から百舌鳥(もず)が飛び出し、調べると、鹿の頭の中身がなくなっていた」というものです。

上代において、死者の魂は鳥になって飛び去り、あるいは丹塗りの船に乗って海の彼方へ行き、または坂を越えて黄泉国(よみ)に行くと信じられていて「百舌鳥耳原中(もずのみみはらのなか)」は、「神の使いとされた鹿(仁徳天皇)の魂が百舌鳥(もず)となって飛び去った」「その大君が開拓された百舌鳥(平野)の盛り土(耳原)の中」と言う意味になり、古来からの伝承が、このようにして、地名に込められたとのことです。

となると、モズは高貴な方の魂が宿っているわけなので、「気軽に撮影することは慎まなくてはいけないのかな?」と思っているうちに、遊歩道のモズは飛び去って行きました。