なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

切り株の上のルリビタキ

今年も手賀の丘公園にルリビタキが姿を見せてくれました。

目の前にいる切り株のルリビタキはオスの若鳥です。

オスの青い羽のルリビタキを見ると「幸せの青い鳥」を思い出します。


「青い鳥」のお話は、あるクリスマスイブに、貧しい木こりの兄妹、チルチルとミチルが夢の中で、魔女に頼まれ「しあわせが実現するという青い鳥」を探す旅に仲間たちと出かけるメーテルリンク作のお話です。

色々な事件や出来事がありましたが、結局、青い鳥を見つける事ができずに放浪の旅は終わります。

そして、二人が目を覚ますと部屋の片隅に昔から飼っている鳥かごのキジバトが青い鳥に変わっていたのです。

随分遠くまで探しに行ったけれど、青い鳥はここにいたと気づく……という内容です。

そして、本当の幸せとは、遠くに求めるものではなく、自分たちのすぐ身近な日常生活の中にあるのだというお話です。



私たちの回りには溢れんばかりの幸せ―本当の「青い鳥」―がいるのです。「生きている幸福」「太陽や空気のある幸福」「仲間のある喜び」等、たとえ目で見ることができなくても、計り知れない幸福と喜びに満ちた「本当の青い鳥」がいるのです。



身近にある幸せを深化させてみると、弘法大師空海(こうぼうだいしくうかい)の「般若心経秘鍵(はんにゃしんぎょうひけん)の名文も思い浮かびます。


夫れ、仏法遥かに非ず、心中にして、即ち近し

それ、ぶっぽうはるかにあらず、しんちゅうにして、すなわちちかし。

真如、外に非ず、身を棄てて何にか求めん

しんにょ、ほかにあらず、みをすてていずくにかもとめん。


意訳

仏の教えは、遥かに遠いところにあると思われるかもしれませんが、
本当は意外に近いところ、即ち私たちの心の中に存在しているのです。

人間の心の奥深い部分にある潜在意識には、欲も不満も怒りもなく、誰も皆持って生まれた清らかな慈悲と智慧だけがあるのです。

仏様が私たちの心の中にあることは、人は誰でも仏様になれる種を持っている ということです。仏様は人間がどうすれば道理に基づいた正しい生活ができるのかをご存じです




「幸い」も「真理」も私たちの心の中に在るのでしょうか?



LEICA DG VARIO-ELMAR 100-400mm / F4.0-6.3 ASPH. / POWER O.I.Sをミラーレス一眼OLYMPUS OM-D E-M1 のボディに装着して35ミリ換算800ミリF6.3ズームで撮影した写真



パナソニックのコンパクトデジタルカメラ PANASONIC DMC-FZ300 35ミリ換算で広角25mm〜望遠600mmの光学24倍、全域F2.8 LEICA DC VARIO-ELMARIT(バリオ・エルマリート)レンズ付きで撮影した写真