上の写真はコンデジ、パナソニックLUMIX DMC-FZH1 (開放F2.8-4.5光学20倍(35mm判 換算で24mm〜480mm)のLEICA DC VARIO-ELMARITレンズ付き)
で手持ち撮影しました。
「まア政夫さんは何をしていたの。私びッくりして……まア綺麗な野菊、 政夫さん、私に半分おくれッたら、私ほんとうに野菊が好き」「僕はもとから野菊がだい好き。民さんも野菊が好き……」「民さんはそんなに野菊が好き……道理でどうやら民さんは野菊のような人だ」民子は分けてやった半分の野菊を顔に押しあてて嬉しがった。二人は歩きだす。「政夫さん……私野菊の様だってどうしてですか」「さアどうしてということはないけど、民さんは何がなし野菊の様な風だからさ」「それで政夫さんは野菊が好きだって……」「僕大好きさ」
伊藤左千夫の「野菊の墓」にある、若い二人の会話です。
「子狐の 隠れ顔なる 野菊かな」 (与謝蕪村)
大辞林 第三版によれば野菊は
とあり、ノコンギクは野菊の代表選手のようです。
明治時代、江戸川の唯一の渡船場の「矢切の渡し」付近には野菊がいっぱい咲いていたようで、小説家・伊藤左千夫の作品「野菊の墓」 の舞台となりました。
蛇足ですが「矢切の渡し」は、寅さんで有名な葛飾柴又から歩いて行けるところにあり江戸川対岸には細川たかし直筆の「矢切の渡し」の歌碑もあります。
柴又側の「矢切の渡し」を渡ってから歩いていける千葉県松戸市に「野菊の墓記念碑」があります。
「野菊の墓」の作品内容は、矢切地域 の農村・田園風景を舞台にした悲恋物語です。
この作品にでてくる野菊はノコンギクだったのかもしれません。