なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

水の上で眠るコブハクチョウ

今年生まれた手賀沼公園のコブハクチョウは親と同じくらい大きくなりました。

でもまだ子供らしいしぐさを見せてくれます。

陽射しが強烈な初夏の午後、コブハクチョウの子供は涼しげな水の上で「お昼寝」しています。

今年も暑い夏がやってきました。



「足しびれて 邯鄲の昼寝 夢覚めぬ」       (正岡子規



参考: 邯鄲の夢(かんたんのゆめ):唐の時代、邯鄲かんたんの町に来た盧生ろせいは、栄華が思いのままになるという枕を道士の呂翁りょおうから借りて眠り、出世し栄華を極めた夢を見たが、目覚めると、黄粱こうりょう=栗の粥かゆがまだ炊き上がらぬつかの間のことだったという沈既済しん きせい著「枕中記ちんちゅうき」の 故事、儚い夢の意。


道元禅師の正法眼蔵の有時うじと通ずるか? 「Here and now」「いわゆる有時は、時すでにこれ有なり、有はみな時なり。」

又、現成公案にいわく「薪は灰となる、さらにかへりて薪となるべきにあらず。しかあるを、灰は後、薪は先と見取すべからず。・・・前後ありといへども、前後際断せり。・・かの薪、は灰となりぬる後、さらに薪とならざるがごとく、人の死ぬ後、さらに生とならず。・・・生も一時のくらいなり、死も一時のくらいなり。」


以下の写真はPanasonic コンデジ ルミックス ブラック DMC-FZ150-K (LEICA DC VARIO-ELMARIT広角25mmでF2.8、望遠側600mm相当でF5.2レンズ搭載)で手持ち撮影しました。