なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

モズが枯れ木で

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上の写真は、一眼レフキヤノンEOS7DマークⅡにCANON EF200mm F2.8L USMを装着し手持ち撮影しました。

2月13日の朝、あけぼの山公園は、晴れ!

枯れ木にモズが止まって鳴いていました。

♫♫

モズが枯れ木で

【作詞】サトウ ハチロー
【作曲】徳富 繁

もずが枯木で鳴いている
おいらは藁を たたいてる
綿びき車は おばあさん
コットン水車も 廻ってる

みんな去年と 同じだよ
けれども足んねえ ものがある
兄さの薪割る 音がねえ
バッサリ薪割る 音がねえ

兄さは満州に いっただよ
鉄砲が涙で 光っただ
もずよ寒いと 鳴くがよい
兄さはもっと 寒いだろ

 


詩は昭和10年10月にサトウハチローが「僕らの詩集」(講談社)に発表したもので、

タイトルは「百舌よ泣くな」です。

曲は小学校の音楽教師だった徳富繁が昭和13年3月18日に作っています。

 

つまり、戦前の曲なので、本来の歌は、反戦歌では、ありません。

 

戦後、昭和28年頃、各地の民謡等の掘り起こし、創作活動が活発に行われている中で、一人の女子学生が学童疎開で茨城にいっていた頃に覚えたという曲が、評論家の野口肇の耳にはいり、奥さんが採譜して急速に広まって行きました。

当時、歌声喫茶で左翼の反戦歌として「モズは枯れ木で」のタイトルで茨城県民謡として歌われていたようです。

 

昭和31年4月に、当時、代々木の山谷小学校の教師だった徳富繁が名乗り出て、作詞者・作曲者が判明した次第です。

 

サトウハチローの原詩は上記のものと微妙に違っています。

 

原詩

「百舌よ泣くな」

 

百舌が枯木に 泣いてゐる
おいらはわらを たたいてる

わたひき車は おばアさん
こっとん水車も 廻ってる

みんな去年と 同じだよ
けれども足り無え ものがある

兄(あん)さの薪割る 音が無え
バッサリ薪割る 音が無え

兄さは満洲へ 行っただよ
鉄砲が涙に 光っただ

百舌よ寒くも 泣くで無え
兄さはもっと 寒いだぞ

 

この歌の変遷は、謎めいていますが、

サトウハチローは、反戦の詩人では、ないので、「泣くで無え」なのです。

サトウハチローは、「鳴くがよい」で歌われているなら、それで良いと黙認していたようです。